主張は「普通で当たり前」だからこそ古典になった

『人を動かす』『道は開ける』などカーネギーの著作は「自己啓発の源流」として人気が高い。一連の著作を刊行している創元社は「シリーズ累計900万部突破!」と謳う。

カーネギーの主張は、普通で当たり前のことだ。『人を動かす』に書かれている「3原則」は、人を非難する前によく理解しようと努め自分のことも省みるべし、率直かつ誠実にコミュニケーションすべし、相手の立場に立ってその望むことを実現させるべし、といった感じ。『道は開ける』では、小さなことにくよくよするな、逆境を転じてチャンスとせよ、過ぎたことはどうしようもない、などと書かれている。

デール・カーネギーの代表作3冊●左から『人を動かす』(山口博訳)、『道は開ける』(香山晶訳)、『カーネギー話し方入門』(市野安雄訳)。いずれも創元社刊。ほかにもシリーズにはカーネギー協会が編んだ『リーダーになるために』『人を生かす組織』などがある。

それではカーネギーの言っていることにはさして特別な価値はないのか。

おそらくそう考えるべきではない。むしろ、このように「普通」「当たり前」であることが「古典」として支持されるポイントなのだと考えられる。

筆者の専攻は社会学だが、その立場から「自己啓発書の読者」を調査したことがある。自己啓発書を読む動機は何なのか、どのように読んでいるのか、読んだことで自分自身どうなったか、といった点をインタビューで17人の方に聞いてみた。

「残念な読者」は少数派多くは「冷静な拾い読み」

この記事を読んでいる皆さんは、自己啓発書はどのように読まれていると思われるだろうか。「自己啓発ブーム」を騒ぎ立てる雑誌記事では、自己啓発書を真に受けた人々がしばしば登場し、「残念な」人々だとして面白おかしくとりあげられるのだが、そのような読者はほとんど見当たらなかった。内容を真に受けている読者は、実際のところはごく少数派だと考えられる。

ではどう読まれているのか。皆さんもこの記事を「話半分」で読んでいるだろうし、その反応のあり方は「ふーん、そうなんだ」「やっぱりそうか」「ちょっとどうかなあ」といったささやかなものだろう。インタビューの結果もおおむねそのようなものだった。

自己啓発書の読者は内容を真に受けるわけではない。自分の興味のあるところだけを「つまみ食い」的に読み、わからないところや同意できないところは飛ばし(あるいはその時点で読むのをやめ)、そもそも「全体を10としたら、1か2くらい」しか自分に有益なところはないと、自分にとって使える情報を冷静に拾い読みしている。

それでは、内容には距離を取りつつも、お金を払って自己啓発書を買い求める目的や用途とは、どのようなものだろうか。筆者の調査した限りでは、読者が行っているのは、いまの自分自身の考え方や行動の仕方を「確かにする」ことである。「確かにする」というのは、仕事の進め方はやっぱりこれでいいんだ、これは重要だと思っていたけどやっぱりそうなんだ、いまの自分に取り入れられそうなところはこの本のなかのコレとコレだ、というように、これまでの人生での経験や現在の状況から可能な範囲で自己啓発書の情報を取り入れ、自らを「補強」するような読み方をしている。