緊縮財政時の危機をどう切り抜けたか?

西川家は近江商人として450年続いています。現在、14代当主西川甚五郎が西川産業会長、私が同社長で15代目の候補です。初代の西川仁右衛門が生まれたのは戦国時代の1549年、もともと大工の息子だったといわれています。この仁右衛門が数え19歳で行商を始めた1566年を創業の年としています。

西川産業社長 西川八一行氏

最初の頃は近江の生活用品と蚊帳を持って歩いて売っていました。主に能登のほうへ持っていって、向こうで換金したお金で、今度は鯖や昆布といった海産物を買って帰ってくる。押しても引いても儲けているから、「がめつい」という見方もあれば、海に山の良い物ものを、山に海の良い物を、必要とするところに持って行くという見方もあったようです。

その後、江戸・日本橋に出店。2代目甚五郎のときには、あるとき箱根の山で昼寝して目が覚めると、新緑の葉に太陽が当たって美しかった。それをヒントに蚊帳の色を萌黄色に染めたのが非常にウケてよく売れ、近江蚊帳の人気が上昇。西川家の繁栄が始まったといわれています。現在のふとん寝具を扱うようになったのは明治以降です。

初代仁右衛門が亡くなったのは95歳。当時としては非常に長命でした。その間、自分の人生の中で数々の為政者が登場し、都も移り変わった。安住の地はなく、常に革新を続け、外へ向かって出ていかなければ生き残れない。立ち寄った地では、地元で愛される活動をしなければ、自分たちは要らないよそ者になってしまう。仁右衛門をはじめ、苦難を経験した近江商人たちは、それが共通した心得となりました。

近江商人とは、近江に残った人のことではなく、外に出ていった人を近江商人と定義しています。それくらい地元の土地は痩せていて、常に新しいところへ出ていかなければならなかった。そうしたものが根本的な考え方として残っています。

近江商人である西川家で代々受け継がれてきた家訓であり社是が、「誠実・親切・共栄」です。そして、その家訓を守るために、450年の歴史の中で多くの努力がなされました。