幸福の科学に出家した、清水富美加の心の中

女優の清水富美加さんの電撃引退と、出家のニュースが駆け巡っている。

彼女の引退の真相を巡り、主に所属する芸能事務所との「契約関係」について様々な見解がなされている。しかし、それらは「外野スタンド側からだけの目線」に思える。現代の宗教や入信者の「事情」も取材している私は、問題の核心はもっと別にあると見ている。

清水富美加に関する報道をする週刊誌

今回、「社会人として、責任をもって仕事を(契約完了まで)完遂すべき」との声がある一方で、彼女の「心の悩み」について、もっと目を向けるべきだという人もいる。

幸福の科学によると、彼女自身が仕事に悩み、周りに「死にたい」と漏らすなど、命の危険まであった事態だという。その結果として、出家という、教団の職員になる道を選んだとされる。宗教側としては、彼女の危機的状況を阻止したという主張である。

もちろん、彼女自身が悩み、この宗教が救いの道を差しのべたこと自体は、事実であろう。ただし、この点は、注意して取り扱って見ていかなければならない。

私はこれまで、こうした様々な思想に触れた経験があるのでわかるが、宗教の教義において「死」というものは、日常的に取り扱われている事柄である。普段、私たちが生活するうえで、悩みがあっても「死」ということまで、極端に考えるまでは至らないことも多い。

しかし日頃、信仰生活している人たちにとって、「死」「あの世」「来世」という言葉は、極めて身近にあるものなのだ。それゆえ教義に心酔すればするほど、思いつめる傾向のある人にとって、悩みはより深刻なものになっていく。これは特段、幸福の科学だけに限ったことではなく、あらゆる宗教教義にもいえることである。