同じ言語を話す場合でも、文化が違えば互いに期待することが違う。自分の文化を押し付けても、相手の文化を生半可に理解しても異文化の壁は乗り越えられない。異文化交渉における正しい戦略とは。

あるアメリカ企業が、アジアに自社のOA機器市場があるのではないかと考えて、OA機器を扱っている日本と韓国の大手小売企業数社と接触した。日本の1社が前向きな反応を示し、ミーティングのためにアメリカに代表者を派遣してきた。

アメリカ側は自社および自社製品を紹介する分厚いレポートを用意し、パワーポイントを使って派手なプレゼンテーションを行った。それに対し、日本の代表者は何の準備もなかったようだ。アメリカ企業の弁護士は日本の代表者に、彼の会社の組織構成や財務状況についてあれこれ質問した。ところが、彼はその質問を無視し、アメリカ側のCEOに向かって「日本にお越しいただけませんか」と言ったのである。

「マーケティング部門の幹部を派遣することはできます」とCEOは答えた。

この提案は日本の代表者を不快にさせたようだった。「弊社の社長はあなたに直接お目にかかるのを楽しみにしていたのですが」と彼は言った。CEOは返答に窮した。

共通の言語でこの上ない善意を持って話していても、異文化間の交渉ではネゴシエーターは特殊な困難にぶつかる。日米双方のネゴシエーターが事前に宿題をこなしていたなら、彼らはこうした文化的相違を理解して、それを埋め合わせることができていただろう。

●日本では、準備作業の多くが接触開始前に水面下で行われる。それを理解していたならば、このアメリカ企業の幹部はミーティング前にその日本企業についてもっとよく調べただろうし、日本の代表者に彼がすでに知っていたと思われる情報を次から次へと示したりはしなかっただろう。

●アメリカでは、ビジネス交渉で弁護士が日本よりはるかに重要な役割を果たす。そのことを理解していたならば、日本の代表者は、アメリカ企業の弁護士が前面に出てきて質問したことに驚きはしなかっただろう。

●日本の企業は、信頼している財務顧問やビジネス・パートナーなどの仲介者を通して最初の接触をすることが多い。そうすれば、いざというとき、どちらも面目を失うことなく話を打ち切ることができる。アメリカ企業はこれを知らなかったために、日本の代表者の権限を過大に解釈したのだろう。日本の代表者には交渉を行ったり、決定を下したりする権限はなく、さらなる話し合いを持つ価値があるかどうかを見きわめる権限しかなかったのだ。

●日本の企業が取引関係を結ぶつもりになったら、通常はまず最高レベルの代表者が相手側の同レベルの人物と直接顔を合わせ、それから具体的な交渉に入る。だから、アメリカのCEOが日本のCEOに会いに行こうとしなかったことは、日本の代表者から取引関係の可能性を探ることに関心がないとみなされたのであり、両社の交渉がまとまる可能性を潰したかもしれないのである。