そうできたらそれは「夫婦」?

なんの後腐れもなく別れられる関係は「知人」です<br><strong>作家 赤坂真理</strong>●1964年、東京都生まれ。著書に『ヴァイブレータ』『モテたい理由』など。趣味はバイクでトコトコ走る。愛読誌は武道・武術誌「月刊秘伝」。
なんの後腐れもなく別れられる関係は「知人」です
作家 赤坂真理
1964年、東京都生まれ。著書に『ヴァイブレータ』『モテたい理由』など。趣味はバイクでトコトコ走る。愛読誌は武道・武術誌「月刊秘伝」。

これ、真面目に相談していないでしょう? よくある男の願望を、ちょいと言ってみました、ってところですよね、きっと? いや男の願望だから悪いなどと言いません、女のアホな願望も妄想もいやというほど知っています。この願望は、両性にそれぞれのかたちで存在している気がします。

男側はブルーズの歌詞によくあらわれたりします。所帯持ちの男が分岐路をいつも右に行く、が、一度は左に行き、それっきり放浪の身になりたい、というような。渇き、と言ってもいい。私の好きなブルース・スプリングスティーンの歌“Hungry Heart”も、そんな歌です。「ボルティモアに女房と子供がいる。ある日車で出かけて二度と帰らなかった」。

『マディソン群の橋』などは女側からのそんな葛藤の話だったと言えるでしょうか。女側からの場合、「さらう者」がやってくることが多いのですが。倦怠と裏腹の安心、リスクのある自由、そのどちらもが必要で揺れ動き、どこかで落としどころを見つけている、というのがたぶん人間界の普遍的風景です。

それは本当によくあるテーマで、リアルに語られれば、赤の他人の人生を自分のことのように感じられます。でもそれは、誰かの生活の現実感が感じられるからこそです。人生相談もそうです。それは人と人の肉声の対峙の場だと私は思うのです。共感が起こるから自分のことのように考えようと思うわけで、真剣じゃない相談は、親身になりにくい。そのことはご承知ください。

基本的かつ手短に言ってしまえば、

できない。

というか、そうできたら、それは「夫婦」?