正直に言うと、なぜ今頃になって本書のような本が出版されるのか、やや不思議に思っている。しかし、多くの新刊書の中で手はおのずとこの本を取った。なぜかと言うと、田中角栄氏に意外なところで親近感を持っているからだ。

1960~70年代の中国の文化大革命時代、16歳の私は上海から屯田兵のように当時の中ソ国境にある黒竜江の畔の綏濱(スイビン)というところに強制移住させられた。冬になると、川が凍結して川向こうの町へ車で行ける。仕事の関係で時々、近くの松花江の向こう側にある富錦(フージン)という町を訪れたことがあった。

のちに上海の大学に入り、日本語を専攻するようになったが、日本語を勉強するかたわら、東西の政治家や文学者の伝記を乱読した。その中に、田中氏に関する書物も入っていた。徴兵された21歳の田中氏が富錦に配属されたといった記載を目にしたとき、自分の「下放」(農村への強制移住)時代を思い出した。中国東北部の冬の寒さなどについての田中氏の回想に、同じ厳しい自然のなかで多感な青春期を過ごした私は理由もなく親近感を覚えた。

その田中氏は日中国交正常化の立役者として語られ、また汚職問題で政治の舞台から退けられた。のちに、娘の真紀子氏がその政治的基盤を受け継ぎ、外相まで上りつめた。しかし、今やその娘さんも政治の舞台を降りた。さらに、旧民主党の元防衛相だったその夫の直紀氏もまた今年7月の参院選で落選し、田中氏が47年の初当選以来、新潟県で築き上げた「田中角栄王国」が名実ともに崩壊した。

よりにもよって、その7月に刊行されたのが本書だ。私は今、69年にわたって日本に存在していた「田中王国」の崩壊に、挽歌を送るような気持ちで書評を書いている。

田中氏は大学どころか中学校すら入ったことがなく、新潟県の雪深い農村から総理大臣の地位にまで這い上がり、日本の現代史に大きなサクセスストーリーを書き残した。政治が世襲制に限りなく近づいている今の日本では、おそらくもう二度と再現できない痛快な出世物語だ。

本書の監修者は、田中氏が生涯にわたって、若者や名もなく懸命に生きる市井の人たちに心を寄せた、と評価し、6人に1人が貧困という「子供の貧困」に直面する今の時代を「日本全体が貧しかった時代の貧困とは明らかに様相を異にする」と容赦なく批判している。

しかし、歩んできた戦後の道や歴史と別れを告げようとする今の日本に、田中氏を引っ張り出して果たしてどれほどの効果があるのか、私は懐疑的に思っている。「田中王国」だけではなく、戦後の価値観も今や崩壊していると言えよう。その再建に、新しい政治家の登場と国民の意思の注入が求められている。

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