覚めた目で人間の現実をあるがままに見る

『韓非子』は、戦国時代末期の思想家、韓非の著作である。

韓非は若いころ、性悪説を唱えた荀子について学んだという。当然、その影響を受けている。

『ビジネスに効く教養としての中国古典』(守屋洋著・プレジデント社)

彼が導き出した結論は、こうである。

──人間を動かしている動機は何か。愛情でもない、思いやりでもない、義理でも人情でもない。ただひとつ利益である。人間は利益によって動く生き物だ。

当然、人間にはそれぞれの立場というものがある。君主には君主の立場、臣下には臣下の立場がある。夫には夫の立場、妻には妻の立場がある。それぞれの立場に応じて、おのずから追求する利益も異なっていく。

それぞれに立場が違い、それぞれに追求する利益が異なる以上、頭から相手を信頼してかかったのでは、とりかえしのつかぬ失敗を招く恐れがある。信頼していた部下に裏切られたといった嘆きの声をよく耳にするではないか。

では、どうするか。『韓非子』のアドバイスはこうである。

「その我(われ)に叛(そむ)かざるを恃(たの)まず、吾(わ)が叛くべからざるを恃むなり。その我を欺(あざむ)かざるを恃まず、我が欺くべからざるを恃むなり」(外儲説(がいちょせつ)左下(さか)篇)

相手が背かないことに期待をかけるのではなく、背こうにも背けないような態勢をつくる。相手がペテンを使わないことに期待をかけるのではなく、使おうにも使えないような態勢をつくる。相手につけ込まれる隙を見せてはならないのだという。

韓非は、けっして人間に絶望しているわけではない。いっさいの固定観念や希望的観測を捨て去って、人間の現実をあるがままに見すえようとしているのだ。その眼は、おそろしいほど覚めているのである。