人間には徳性が備わっている「性善説」を採る

孔子の教えは、その後、弟子たちに受け継がれていく。かれらは思想流派の上で「儒家」と呼ばれている。

やがて中国の歴史は戦国時代に入っていくのだが、この時代になると、「諸子百家」と呼ばれるさまざまな思想流派が現れ、乱れた天下をどう立て直すのか、活発な論戦を展開した。そういうなかから、儒家の立場に立って、他の流派に対抗した二人の思想家が現れてくる。孟子と荀子である。

『ビジネスに効く教養としての中国古典』(守屋洋著・プレジデント社)

ただし、この二人は同じように孔子の教えを受け継ぎながら、その説くところには際立った違いがあった。

まず、孟子である。孟子の学説は二本の柱から成り立っている。

第一は、性善説である。

孔子は人間の本性は善だとも悪だとも語っていないが、基本的に人間を信頼する立場に立っている。孟子はそれを一歩踏み込んで、人間の本性は善であるとする「性善説」を打ち出してきた。それによると、人間はもともと天から、仁、義、礼、智などの素晴らしい徳性を賦与されて生まれてくるのだという。

だが、せっかくの徳性も、放っておくと、もろもろの欲望に晦(くら)まされて未開のままに終わってしまう。欲望に打ち勝って徳性を発現させるためには、絶えざる修養を必要とする。修養はまた修身と言ってもよい。これが人間に課せられた課題なのだという。

第二は、王道政治である。

人間の特性のなかで、孟子がもっとも重視したのが、仁と義の二つの徳である。これにもとづく政治が王道政治にほかならない。

つまり、絶えざる修養によってこれに磨きをかけ、政治の場に立ったときに、それを下々の者に及ぼしていく。そうすれば、国も天下もうまく治まるのだという。