現場主義を徹底、アクティブに自らやる

【弘兼】この6月から玉塚さんはローソンの会長CEOに就任されました。なぜこのような人事になったのですか。

【玉塚】事業領域が拡大していくなかで、我々は経営体制を強化しなければなりません。そのためには、ローソンの筆頭株主である三菱商事の力を最大限に活用し、総力戦に持ち込みたい。三菱商事出身の竹増(貞信)さんが社長COOに就くことで、ありとあらゆるボタンを押せるようになった。竹増さんには、海外、新規事業、M&Aなどに注力してもらいます。

ローソン会長CEO 玉塚元一(たまつか・げんいち)
1962年、東京都生まれ。85年慶應義塾大学法学部卒業、旭硝子入社。97年米国ケース・ウェスタン・リザーブ大学院修了。98年サンダーバード大学院修了。98年12月ファーストリテイリングに転じ、2002年社長。05年リヴァンプ設立。10年ローソン顧問、11年副社長。14年5月社長。16年6月1日より現職。

【弘兼】会長CEOの玉塚さんは何をされるんですか。

【玉塚】やることは何も変わりません。社長COOの竹増さんとこれまで通り一枚岩でやっていきます。その中でも僕のメインは国内のコンビニ事業。この商売は現場主義が基本。アクティブ(能動的)に、ハンズオン(自らやる)でいかないと、ダメだと思うんです。だから「超アクティブ、ハンズオン」な新しい会長像というのをつくってみようと思っています。これまで以上に高い視座で会社全体が正しい方向に向かうよう導いていくのが役目です。

【弘兼】行動する会長ですね。でも、今後はトップとして様々な業界を渡っていくのでは?。

【玉塚】いえいえ、渡らないですよ。

【弘兼】玉塚さんはご自身で経営者に向いている面と向いていない面をどのように分析されていますか?

【玉塚】よくはわかりません。ただこの仕事というのは、修羅場や厳しい状況などをどれだけ突破してきたか、経験値が大事です。ローソンでも、ユニクロやリヴァンプの経験が仕事に生きています。そのつど、真剣に向き合ってやり続ければ、技術は高まっていくんじゃないですかね。スポーツや武道と似ています。

【弘兼】玉塚さんといえば、慶應大学のラグビー部出身で知られています。大学3年生のときからレギュラー、4年生のときには大学選手権で準優勝という輝かしい成績を残している。ポジションはどこだったんですか?

【玉塚】僕はフランカーというポジションでした。スクラムを組むとき一番後ろあたりにいる選手です。

【弘兼】スピードがあり肉弾戦にも強い選手ですね。大学卒業後は旭硝子に入社しますが、その理由は?

【玉塚】製造業が産業の基幹だと思っていました。そして海外で活躍するビジネスマンになりたかった。同期の人数が少なくて、海外拠点の多いメーカーに行ったらいいのではないかと、尊敬する方からアドバイスをいただきました。最初の2年間は安全靴を履いて工場勤務でした。これがすごく大事な経験になりましたね。その後、2年間は本社。そこで海外へ行きたい、行きたいと希望を出していたら、シンガポールに行かせてもらうことになりました。

【弘兼】入社5年目に念願の海外勤務。

【玉塚】これが僕の人生を大きく変えました。27歳のときでした。当時のシンガポール支店の年商は8億から10億円程度。赴任当時は僕がトップで後は数人の現地スタッフという構成でした。

【弘兼】玉塚さんがシンガポールにいた頃というのは、1985年のプラザ合意による円高が始まった頃と重なっています。日本の製造業がアジアにシフトしていく時期だった。

【玉塚】日本から入れ代わり立ち代わり上司がやってきて、彼らと会社を買収したり、新しい工場を建てたり……。4年間のシンガポール勤務でリーダーとして組織を動かしたのはいい経験になりました。