「1995年に神戸市を訪れた観光客は、年初の阪神・淡路大震災の影響で、前年の半分以下に激減しました」(図参照)

1995年の震災の年、神戸の年間観光客は半数以下に
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1995年の震災の年、神戸の年間観光客は半数以下に

神戸市役所勤務時代の被災体験を持つ大阪観光大学の中尾清教授はまず、神戸の観光業が復興した経緯を解説する。

「客足が震災前の水準に戻ったのは、表向きは4年目の98年です。ただし、95年末に開催され、年に500万人前後に上る神戸ルミナリエの訪問客は差し引いて考える必要がある。本当の意味で戻ったのは、7年目の2001年です」(中尾氏)

ただ中尾氏は、今回のケースの分析に神戸の事例は参考にならないという。被災した範囲が広大なうえ、津波と放射性物質という要因が重なったためだ。

「95年も“神戸壊滅”のイメージが強く印象付けられ、兵庫県内でも被害が少なかった有馬・城之崎両温泉で閑古鳥が鳴きました。が、放射性物質の件は次元が違う。原発事故の処理は長期化しそうで、観光がここ10年で立ち直れるかは微妙」

放射性物質の風評と“自粛”ムードは強力だ。損害が比較的軽微な北海道ですら、6月までの観光産業の損害額約800億円という非公式の試算(北海道観光振興機構調べ)もある。昨年第1四半期(4~6月)の業績をもとに、「訪問客のうち外国人が100%、道外50%、道内30%、各々前年を下回ると仮定し、キャンセル率も加味した」(同機構広報グループ)という。

「観光は物見遊山などではなく、生活の一部。同時に、国内産業の空洞化が進む中で、工業製品を介さずに外貨を稼ぐ“見えざる輸出=invisible export”であり、21世紀の重要な政策の柱です」(中尾氏)

中尾氏の言葉通り、政府は03年以降、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を推進してきた。が、観光庁は“11年の訪日外国人客数1200万人”との目標を見直すと発表した。

「自粛の必要がないものまで自粛するのはどうか。神戸に元気をくれたのは、やはりオリックスとイチローだった。そこからぜひ学んでほしい」(同)

有事の今、被災地にお金を回す様々な仕組みが必要だ。平時の産業とはいえ、観光はその有力候補だろう。自粛ムードで被災地と日本全体が共にシュリンクしていく愚は避けたい。

※すべて雑誌掲載当時