イギリスが欧州連合(EU)に残留するか、あるいは離脱するのか? 残留を訴えるキャメロン首相が政治生命を賭けて行った国民投票の結果は、約126万票の差をつけて離脱派が勝利した。離脱派51.9%、残留派が48.1%で、国民は大きく2つに割れた。第二次世界大戦後まもなく「欧州合衆国」の創設を訴えたウィンストン・チャーチル元英首相がもし生きていたらどちらの支持に回っただろう?

チャーチルならどうしただろう?

チャーチル(1874~1965年)は第2次大戦中、ヒトラーを相手に決して妥協をせずに戦い抜き、国民を鼓舞しながら最終的な勝利に導いた名宰相として知られる。戦時中(1940~45年)と戦後(1951~55年)の2回、首相の座に就いた。口には葉巻を挟み、手には勝利のVサイン、山高帽をかぶり笑みを浮かべた姿はイギリス人の誰にとってもおなじみだ。

多くの国民に愛され、慕われたチャーチルは現在の与党・保守党にとってはとりわけ大きな存在感を持つ政治家だ。困ったとき、助けが欲しい時、「チャーチルなら、どうしただろう」という疑問が頭をかすめる。

『チャーチル・ファクター』(ボリス・ジョンソン著・プレジデント社刊)

5月9日、国民投票に向けての選挙戦が本格化するなか、残留派リーダーのキャメロン首相は、演説のなかでチャーチルのことを引き合いに出してこのように語った。

「(欧州委員会があるブリュッセルに向かうために英空軍の飛行機に乗るとき)ドイツ空軍の撃退に成功した『ブリテンの戦い』(1949年夏)を思い出し、私は誇りで胸がいっぱいになる」

1940年当時、大陸の欧州諸国が次々とドイツ軍の攻撃に倒れる中、イギリスは孤軍奮闘していた。

「イギリスが望んでそうなったわけではない。チャーチルも孤立したいとはまったく思っていなかった。実際に、ブリテンの戦いの前にはフランス軍を支援し続けていたし、フランスがドイツ軍の支配下に入ったときはアメリカを同盟国側に入れようと骨を折った」

「戦後チャーチルは西欧が一緒になり、自由な貿易を振興し、欧州が二度とあのような流血状態にならないようにと汎欧州の組織を築き上げようとした。欧州から孤立したイギリスに将来はない、もしそうすれば後悔することになるだろう」

キャメロンは、首相として先輩になるチャーチルが欧州の平和、そして和解を推進したEUと分かちがたく結びついていると訴え、残留への支持を求めた。