何の効果もないのに始まった「高校無償化」

これまで数々の日本のカラクリを紐解いてきたが、特に民主党政権になって以降、説明不能なことが次々と起こるものだから、外国人相手にどう解説したものか困る。最近は諦めの境地というか面倒臭いので、「ディス・イズ・ニッポン(これが日本なんだ)」の一言で済ませることが少なくない。

まともに考える力があったら、少しは反発なり異論があってもいいと思うのだが、一つも出てこないのが今の日本社会である。たとえば「高校の無償化」。法案がすんなり成立して、今年4月から公立高校の授業料が無料(私立高校生は年額約12万円を助成)になった。

義務教育でもない高校教育を、なぜ無償化しなければならないのか。莫大な教育費を税金で賄ってまで無償化する目的は何か、どういう効果が期待できるのか。いっそ高校まで義務教育にしてはどうか――。普通の国ならこうした議論が当然あってしかるべきだが、この国では何の議論も起こらない。

八ツ場ダム建設中止の理由ならわかる。要らないからである(しかし、これとても初めの勢いはどこへやら、高架橋は建設するという意味不明のことになっている)。しかし、高校無償化のメリットについては議論も何もない。行かなきゃ損だから、無償化によって進学率は上がる。ところが学力低下に歯止めがかからない状況で無償化すればどうなるか。高校教育やその先にある大学教育をどうするかという視点が欠落しているのだ。

全入時代に突入して、大学は学生を確保するために推薦枠をどんどん増やして、今や入学者の50%は推薦入学という状況だ。結果、どうなったか。日本の高校生は全然勉強しなくなった。私が調べたところ、高校生の家庭での学習時間は1日平均1時間を切っている。韓国の高校生の平均は9時間。これがそのまま今の日韓の人材格差に表れている。

私が大学を受験した時代は「四当五落」と言った。睡眠を4時間しか取らずに勉強すれば合格、5時間寝たら不合格。4時間睡眠ということは1日で起きている時間は20時間。そこから学校で過ごす時間や通学、食事などの時間を差し引けば、家での学習時間は実質、9時間程度になる。昔は日本も当たり前のように9時間勉強していたのだ。

日本が強かったときには、やはり強くなる理由があった。大量生産にふさわしい、工業化社会にふさわしい、加工貿易にふさわしい勤勉で均質な人間を育てるカリキュラムがあり、勉強もしたのである。

それを今の日本人は忘れてしまった。勉強の内容は時代で変わっていくにしても、半分が推薦で合格するような緊張感のない受験状況ではガムシャラになって勉強するわけがない。だから今や大学の教育に堪えない人材が圧倒的に増えて、工学部では高校数学と物理の基礎をやり直さなければ大学の授業が始められない有様だ。