生まれ変わる国内最高峰

日本バスケットボール界がことし、生まれ変わる。今秋に開幕する新プロバスケットボールリーグ『Bリーグ』の誕生に向け、統合される『bjリーグ』『NBL』はその歴史に幕を閉じる。革新的な国内初のプロリーグだったbjリーグのレガシー(遺産)とは何だったのだろう。

2005年、企業スポーツのあり方に疑問を感じ、河内敏光コミッショナーらがbjリーグを立ち上げた。保守的なJBL(現NBL)との対立や様々な試練を乗り越えながらも、発足当初6チームだったリーグは今季、目標だった24チームの人気リーグとなった。

bjリーグ公式動画サイト「bjTV」より

15日のファイナルズ(優勝決定ラウンド)決勝戦には、東京・有明コロシアムを有明史上最多となる1万1038人が埋めた。試合後のお別れセレモニーでは、河内コミッショナーがマイクに向かって声を張り上げた。

「11年間、ありがとうございました。最後は三本締めでお願いしま~す」

bjリーグは地域密着をうたい、「アリーナ・エンタテインメント」を追求してきた。結果、観客動員ではNBLをしのぐまで発展した。各チームの企業努力の成せる業であるが、日本において「アリーナスポーツ」の可能性を示した功績は大きい。

bjリーグのレガシーは何ですか?と聞けば、河内コミッショナーは「う~ん」と考え込んだ。

「やはりアリーナ・エンタテインメントがメジャースポーツになる第一歩を記せたということでしょう。これまで国内では、プロ野球やサッカーなど、スタジアム・メジャースポーツばかりだったでしょう。でも、これからは(2020年)東京オリンピック・パラリンピックに向け、アリーナも造っていってほしい。バスケットが率先して、アリーナ・メジャースポーツになっていく可能性を創ったのが大きいかなと思います」