<strong>新党改革代表 舛添要一</strong>●1948年生まれ。福岡県出身。東京大学法学部政治学科卒業。同助手、パリ大学研究員などを経て2001年、参議院議員に初当選。自由民主党参議院政策審議会長、厚生労働大臣を歴任。今年4月、自民党を離党、「新党改革」を立ち上げる。
新党改革代表 舛添要一●1948年生まれ。福岡県出身。東京大学法学部政治学科卒業。同助手、パリ大学研究員などを経て2001年、参議院議員に初当選。自由民主党参議院政策審議会長、厚生労働大臣を歴任。今年4月、自民党を離党、「新党改革」を立ち上げる。

「そこに黒船がきているんですよ。新しい体制をつくらないと日本は潰れます」と、新党改革代表の舛添要一氏は日本の現状を幕末にたとえる。

「外交、防衛、経済もしかり。もう20年前から潰れかかっている。足腰が立たないほど体力が衰弱しているのに小泉純一郎(元首相)は一時的にモルヒネを打って、なんとか体をもたせろと言ってきた。そのツケがいまになってまわってきている。あのとき、モルヒネに頼るのではなく別の療法で体力を回復していればこうはならなかった」

この20年間は江戸幕府の250年間に相当するぐらい時間のスピードが速いという。「明治維新になって散切り頭にしたが、また、ちょんまげ姿に戻っちゃった。戦略のない最低の執行部ですよ」。

自民党への失望感がかなり大きいようである。

「高度経済成長期に日本はジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされたが、すでに、日本的経営なんか使い物にならなくなっちゃった」。それどころか、このままいくと日本はガラパゴス化するという。「進化に取り残された生物が生息しているのがガラパゴス諸島でしょう。進化することのできない人間と企業が生き残っているのがこの日本列島ということになってしまう」。

政治学者から政界に転身。01年の参院選では比例代表で自民党候補として立候補し、およそ160万票を獲得。与党逆風の中で行われた07年の参院選でも比例区で50万票弱を獲得していずれもトップ当選を果たした。安倍、福田、麻生政権で2年間にわたって厚労大臣を務め、今年4月に自民党を離党。「改革クラブ」に入党して党名を「新党改革」に変更。同党の代表に就任した。一時は自民内で総理候補ともてはやされただけに、離党時に受けた屈辱が傷となっていまも残っている。

「比例代表で初めて選挙に出たとき自民党は嫌いだけれど舛添さんが好きだといって投票用紙に舛添要一と書いた人が160万人もいたんです。自分で言うのもなんだけど、私の票で比例区の何人が当選できたか」。自民党と決別するとき、舛添票で当選した参院議員が「党執行部を批判してもらっては困る」と非難してきたので「誰の票で議員になれたんだと言ったら口をつぐんでしまいました」。

新党結成の記者会見で「自立した個人が活躍する日本を再構築する」と述べた。参院選は知名度をいかして浮動票にターゲットを絞っていく。同党幹事長で郵政民営化反対派の荒井広幸・参院議員(比例代表)とは政治路線は異なるが、それについては、一笑に付した。「荒井さんはこれまで意見をコロコロ変えてきた政治家ですから大丈夫です。自民党からネガティブキャンペーンをやられてしまっているから、そういった見方をしてしまうんです」。

現在の党はあばら家だが、すぐにリフォームできると言い切った。

(秋本 宏=編集協力 小倉和徳(渡辺、山田)、奥谷 仁(与謝野、舛添、亀井)=撮影)