前評判は決して高くなかったサッカーU-23日本代表。だが、リオオリンピックアジア地区最終予選で優勝という結果を残す。なぜ勝てたのか。早稲田大学ビジネススクールにて教鞭を執る気鋭の経営学者が迫った。

「反骨心」をエネルギーに変えるには

【入山】手倉森さんが率いるチームは、これまで国際大会で勝ち進めず、「谷間の世代」と呼ばれていました。

【手倉森】五輪出場も危ないと言われていましたよ。実際、ずっと勝てなかった世代なので、これは普通にやっていてはダメだと思いました。自分のやり方で勝たせるしかない、と。

【入山】最終予選の采配には驚きました。試合ごとに大胆にメンバーを入れ替え、23人ほぼ全員を起用した。

サッカーU-23日本代表監督 手倉森 誠(てぐらもり・まこと)
1967年、青森県生まれ。五戸高校を卒業後、86年、住友金属工業蹴球団(現鹿島アントラーズ)に入団。95年に引退後、指導者に。ベガルタ仙台監督などを経て、2013年リオデジャネイロ五輪を目指す21歳以下の代表監督に就任。

【手倉森】絶対に優勝したかったので、ローテーションして体力を回復させる必要がありました。それに、突出したスター選手がいるわけではないので全員を伸ばしてやりたいと思ったんです。

谷間の世代と呼ばれる彼らが成長して、アジアの頂点に立つ。しかも先発の11人だけでなく、23人全員で優勝を掴み取れたら、そのほうが将来の日本サッカー界のためにもなる。五輪代表から日本代表へ、将来の日本サッカーの中心選手を1人でも多く育てたいと思っていました。

【入山】チームの強みは「反骨心」とおっしゃっています。

【手倉森】ずっと悔しい思いをしてきた年代だから、反骨心を奮い立たせることができれば強い。今回のチームでは、それが鍵になると思っていました。

俺自身も反骨心をエネルギーにしてきた人間なんですよ。選手時代はJリーグで活躍できなかったし、指導者としても日本代表チームを率いたことはなく、就任時周囲からは「手倉森で大丈夫か」という声も聞こえてきました。

どうせ難しい状況なら、思い切り自由にやってやろうと思っていました。勝って当たり前のチームを率いてもつまらない。失敗したら監督をクビになるだけのことだし、失敗の次には成功がありますから(笑)。