脱走100回! 個室で一人ぼっちドンペリも

ちょうど10年前の今頃のことだ。

ますい志保氏

銀座のママが単独でホームレス体験をするというドキュメンタリー番組に参加したますい志保は、スタッフが引き揚げた深夜、段ボールハウス内で下腹部の激痛にのたうちまわった。異変に気づいた隣の本物のホームレス男性が「この痛み方は尋常じゃないな」と病院へ行くことをすすめたそうだ。

ロケを中断し、知人のクリニック院長のもとへ。MRI診断の画像が翌朝、自宅のパソコンにメールで届いた。そのときの苦い記憶をますいは語る。

「直径約8センチ、野球ボールくらいの大きさ。私の子宮には巨大な影がありました。子宮が破れているかもしれないな。凍りついた時間のなかで、そんなふうに思ったことを覚えています」

病名は、子宮体がん。子宮頸がんは若い女性に最近増えているが、体がんはどちらかといえば閉経した女性によく見られる病気だ。ますいは、当時34歳。「現実感がなかったです」というのも無理はないだろう。確かに20代の頃から、不正出血と激痛に見舞われることがあった。「ときには1日で1箱の鎮痛剤を飲みながら、毎晩、銀座の店で働いていました」。体調不良のたびに検査はしたが、診断結果は、決まって子宮内膜症。腫瘍は見られないですね、という医師の声に心底ホッとした、とますいは振り返る。しかし、ついに、くるものがきてしまった。

「放っておいたら、余命半年です」

そう静かに伝えたクリニック院長は、病院を紹介すると言ってくれたが、ますいは知人がいてマスコミでもよく知られた都内の大学病院で再検査を願い出た。あの画像は何かの間違いかもしれない。そんな気持ちだったが、診断はやはり「子宮摘出が妥当」。当時、全国各地から銀座ママの話を聞きたいと、講演依頼が多数舞い込んでいたが、すべてキャンセルするようにと、病院から命じられたそうだ。

ただ手術は結局、症例数の多さから最初のクリニック院長が橋渡しをしてくれた日本医科大学付属病院ですることになった。詳細な病理検査を受けると、ステージは末期手前の「III期-C」。

「医師団から最悪の事実を延々と説明され、悲観的になった私は、先生に『私はもっと有名な一流の病院で手術を受けます』と言ってしまいました」