全盲の選手が出場するブラインドサッカー世界選手権が2014年11月に東京で開催された。日本が開催地に選ばれたのはアジアでも初めて。参加国は過去最高の12カ国で、激戦が繰り広げられた。日本は過去最高の6位で、順調に世界の上位へと駒を進める。アキュセラの窪田良CEOはこの大会の開会式と日本の初戦を観戦した 。
失明を飲み薬で防ごうと新薬開発を進める窪田氏と、失明した方たちのQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を向上させるために活動する日本ブラインドサッカー協会で事務局長を務める松崎英吾氏。目にまつわる共通のライフワークを持つ2人は、「見えること、見えないこと」をどう捉えているのか。
松崎氏と窪田氏の対談を前編・後編でお届けする。前編では、松崎氏がブラインドサッカーに出会った頃のエピソードや、ブラインドサッカーが広げる「多様性の個性」について窪田氏が話を聞いた。

ブラインドサッカーを知った時に偏見は崩れた

【窪田】私が松崎さんのことを知ったのは去年6月のTED Talk(http://www.tedxtokyo.com/talk/eigo-matsuzaki/)でブラインドサッカーのことをお話しされていたときでした。転がると音が出る特殊なボールを使うことで目の見えない方がプレーできるようにしているということを、それまで知らなかったので驚きました。

私は眼科医なので視力を失った後の生活のことや、生まれながらにして失明されている方の生活にも詳しいだろうと思われがちです。でも、治療対象の方というのは、完全に失明される前の方が多いものですから、患者さんが失明されると、我々の手を離れてしまう場合が多いという現実があります。本来は知っておくべきことなのですが、今まで私はそういったかかわり合いを持つ機会がなかったので、今回、松崎さんにお話を伺って、教えていただきたいなと思っていました。理解すればするほど、私も自分がやっていることの意義をより認識できると思っています。

松崎さんがブラインドサッカーと出会って、それまでのお仕事を手放してブラインドサッカーの事業化に取り組むことになったきっかけとは何だったのでしょうか。たしか、ブラインドサッカーと出会われたのは大学の頃でしたよね?

【松崎】はい。当時、ちょっと生意気な大学生で、「世界をまたにかける」という枕詞付きでジャーナリストを目指していたんです。そんな中、新聞社でアルバイトをしても記事のクリッピングしかさせてもらえないと聞いていたので、もうちょっと違う視点で職業体験できるところを探しました。当時は名前自体も広まってなかった「インターン」というのを知って「報道」などのキーワードで検索したところ、ある方の個人事務所がヒットしたんです。「インターン(募集してません)」って書いてあったのですが、そんな風に記載すること自体が珍しかったので、駄目もとでそこにコンタクトをしたんです。しつこく連絡をして春休みにインターンとして迎えてもらえました。

【窪田】それで取材の手伝いをするようになったのですね。そこでブラインドサッカーを取材する機会があったのでしょうか。

【松崎】いえ、取材をしたのではありません。その事務所に「視覚障がい者がやるサッカー」というものがあるという情報が入ってきて、はじめてブラインドサッカーを知りました。「新しいことを取りあげるのが将来の目標なんだったら、1回見てきたら?」と、他のスタッフから薦められたのが最初のきっかけでした。

【窪田】そうですか。最初ご覧になったとき、どう思われましたか。

【松崎】それまで視覚障がい者との関わりはそんなになかったのですが、先入観を持っていたことに気がつきました。

僕の原体験なのですが、小学校1年生から6年生まで背の順で一番前を保守しておりまして、そこで待っていたのが障がい者学級の子と手をつなぐという役割でした。障がいを持った人との出会いというのは自然な形ではなく、強制的だったんです。当時、その役回りは決して嬉しいことではなかったし、無理やり感の中で出会ったという原体験をしていたので、障がい者を「向こう側の人」という見方をしてしまっていました。

ブラインドサッカーを見て、「まったく見えない状態なのに、なんでサッカーをしたいんだろう」かと、彼らのモチベーションがわかりませんでした。見えないんだったら、サッカーなんてやらなくていいじゃないかって思っていたくらいです。でも、チャレンジをしたいという彼らの意欲がものすごく感じられましたし、パスをかわすだけで、こんなにも声に出すコミュニケーションが必要なのかなど、いろんなことがわかってきたんです。それで障がい者に対する偏見が崩れ去りました。