夏休みの宿題で「親子の絆」を深める家庭の共通点

子どもの夏休みの宿題に頭を抱えている親御さんは多いようです。子どもの頃にも苦しめられたのに、親になっても苦しめられる。そんな「夏休みの友」ならぬ「夏休みの敵」扱いの、夏休みの宿題に、親としてどう関わっていくべきか。親としての立場と、教師としての立場の両方の視点から述べていきます。

▼なぜ、「自由研究」は「親の宿題」になるのか?

夏休みの自由研究の宿題は、実際に親が関わってやってみると、かなり大変です。小学1年生などは、字を習いたてで、文章を書く経験も少なく、考えを言葉でまとめるというのは相当厳しいはずです。

私の子どもは小学1年の時、「隠れている生き物(擬態)を探して集めたい」と言い出しました。

そうなると、様々な場所へ出かけて写真を撮る必要が出てきます。そこで方々へ出かけること数日間。さらに写真ごとに文章をつけて、これを書くのも数日間。

書く際に、1年生ではアドバイスが必要です。ただし、余計な手出しや口出しは一切しませんでした。やっとできた作品を夏休み明けに持っていき、特に入選等をすることはなく、普通に持ち帰ってきました。

私は学校の担任をしていて実情を知っているので、そんなものだろうと思っていました。しかし、これに対し「あんなにがんばったのに……」とがっかりされる親御さんも少なくないでしょう。

大変だったのは間違いありません。ただ、ここで問い直すべきは「誰の宿題でしたか?」という点です。低学年ほど、「親の宿題」になってしまいがちです。

では、どのような心構えで我が子の夏休みの宿題に関わっていけばよいのでしょうか。

▼自由研究「全部自分でやらせればいい」は間違い

学校は自由研究や工作を「親子のふれあいの場」とも捉えてます。実際、こうした宿題が出なければ、親子でそんな経験を共にしないこともあるでしょう。

低学年の子どもが自力で全てやるのは難しいです。

「海の生き物を調べたい」となれば、海に連れて行く必要が出ますし、写真を撮ったりプリントしたり、広範囲で手伝うことになります。まとめ方や書き方も、一緒にアドバイスしながらやることになるでしょう。

本来は「全部自分でやらせればいい」というところですが、それは理想論であって現実的ではないです。

授業で算数の問題を解く時と同じで、自力でどんなに考えたって、わからない時はわからないものです。自力でやれることは極力手を出さず、やれないことは手伝う。親と子どもが協力する場としていきます。

逆に考えると、親が協力できない環境にある子どもには、本当に厳しい課題となります。どこにも連れて行ってもらえない子どももいるかもしれません。一緒に課題をやれない家庭もあるかもしれません。

たくましい子どもや要領のいい子どもなら、それでも何とか終わらせるかもしれませんが、多くの子どもにとっては、どうしたらいいのかわからないまま、夏休みが終わることとなります。担任としては、そういう子どもにも思いを馳せることが必要になります。