生まれ変わっても心臓外科医

世の中の学生達にとっては待望の夏休みを目前にしていますが、受験生にとってはまさに天王山とも言える季節となってきました。また、高校野球の地区予選もまっただ中です。出揃った代表校による熱戦とともに夏は盛りを過ぎて、優勝校が決まると、にわかにヒグラシの鳴き声が高らかになって秋めいていく季節感は日本ならではと思います。過ぎゆく夏とともに、宿題に追われて深夜放送が心の友となっていた我が青春時代は、ほんの少し前の出来事だったようにさえ感じられます。

順天堂大学病院副院長・心臓血管外科教授 天野 篤

日本の夏ではありませんが、熱しやすく冷めやすい性格の私が医師を志したのは、自分の興味が継続できる領域で知識と経験の蓄積が世のため人のためになる仕事だと確信したことがきっかけで、特に外科医という職種に自分ほど向いている人間はいないと考えたからです。もちろん、心臓病だった父を自分の手で治したいという気持ちもありましたが、外科医を続けているのは社会の役に立っている実感を持てているからです。

医師という仕事は、1つ新しい知識や技術を身につけたら、何人もの患者さんを助けることができます。その先にある新しい発見や新薬開発は何百万人、何億人の命に貢献するでしょう。他にも社会貢献できる仕事はたくさんありますが、特に心臓外科医は、手術をして患者さんの命を救うことで、患者さんや身近にいるご家族に喜んでもらえ、行った結果が分かりやすい形ではっきりと見える仕事です。私は、社会貢献が目に見えて実感できる心臓外科医としての仕事にやりがいを感じていますし、私たちの世代を体を張って守り育んでくれた高齢の患者さんたちに恩返しできている自分に誇りも感じています。もし生まれ変われたら何を目指すかと問われれば、迷うことなく「心臓外科医」と答えるでしょう。

現在も年間で450例程度の心臓手術を自ら執刀していますが、実はもうすぐ還暦になるこの時期まで現役でいられるとは、30代~40代のときには想定していませんでした。私の先輩外科医の多くは、40代後半から50代になると視力の衰えや指先が震えることを経験するようになり、50代半ばにはメスを置いて第一線から退いていったからです。私が40歳くらいのときには、「心臓外科医がメスを持っていられるのは55歳くらいまで」と公言し、メスを置いたら、医師の足りない地域や離島へ行って「へき地医療」に貢献したいと本気で考えていたくらいです。