大学とは、「稼ぐ力」を身につける場所

文部科学省の「第1回実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」(2014年10月7日)でなされた提言が議論を呼んでいるという。

大学を「グローバルで通用する高度なプロフェッショナル人材」を輩出するG型(グローバル)と、「ローカルな労働集約型の産業で生産性向上に資するスキル保持者」を輩出するL型(ローカル)に分別して再編すべし。ごく一部のトップ校、学部以外はL型大学と位置づけて、職業訓練機能を強化せよ――。

これが提言の骨子。今の大学教育から生み出される人材と現実の経済社会が求める人材のミスマッチはよく指摘されていることだし、私もそれは強く感じる。

義務教育の目的が憲法で言うところの「最低レベルの生活ができる能力の付与」だとすれば、なぜ高校まで義務教育にしないのか、そもそも高校はどんな位置づけにあるのか不明である。大学教育の目的は「より高度な生活をするための準備をする」ということになるだろう。つまり、大学とはよりレベルの高い生活をするための知識や技能、ひっくるめれば「稼ぐ力」を身につけるための場所なのだ。

世界のどこにいっても稼げる3種の神器は「英語」「ファイナンス」「IT(ITスキルを含んだ問題解決力)」、というのが私の持論だ。この3つは21世紀を生き抜くための、いわば世界共通言語であり基礎体力である。(高校まで伸ばした)義務教育の段階からこれらを必須項目として教え込んでいくべきで、さらに高いレベルで3種の神器+α(専門分野)を磨くための教育プログラムを供するのが大学の最低限の役割だと私は思っているし、私が学長を務めるBBT大学もそこに主眼を置いている。