名門校ほど「真のゆとり教育」を実践

「名門進学校」と聞くと「ガリ勉の館」を思い浮かべる人も多いかも知れないが、実際は違う。

開成にしても、灘にしても、筑駒にしても、校風は自由。学校行事は生徒たちの自治による。宿題はドリルよりレポート形式が多く、特に中学生のうちは、実験やフィールドワークなどの機会も多い。教科横断型の授業も充実している。「真のゆとり教育」と呼べる内容だ。決して東大一辺倒の教育をしているわけではない。

1982年以降東大合格者数1位を独占している開成の柳沢幸雄校長は「生徒たち全員に東大に行けと指導すれば、250人だって合格させられる。しかしそんなことをして何の意味があるのか」と問う。戦後の新学制移行以降一度も東大合格者数トップ10から外れたことのない唯一の学校である麻布の平秀明校長は、「最終学歴麻布でいいと思える教育をしている」と言う。

一般には、いい大学にたくさんの生徒を送り込むのが名門校だと思われがちだが、むしろ「大学に行かなくてもいい」と思えるほどの教育をしている学校こそ「名門校」と呼ばれる。しかも、学校のレベルが上がれば上がるほど、受験に特化した指導をしなくなるという逆説も成り立つ。

ではなぜ、これらの学校は、受験に特化した指導もしないのに、毎年突出した大学進学実績を残すことができるのか。

「中学入試で地頭のいい子を集めているから」とか「塾に受験指導を任せているから」という指摘もある。間違いではないが、十分な説明にはならない。だったらほかの学校もそうすればいいだけの話である。実はこれらの学校も、かつては大学入試のための勉強をかなりさせていた時期があったのだ。安定した進学実績が出せるようになってから、生徒への管理を緩めた経緯がある。