石原慎太郎、山田宏のナゾ

自民党の右に柱を立てる──国家や民族を重視する本格的な保守政党として衆院選に臨んだ次世代の党だが、公認48名に対して当選は2名と大惨敗。何より選挙戦は不可解なことだらけだった。石原慎太郎最高顧問は、田母神俊雄候補の応援演説に入らない。杉並区長として名を馳せた山田宏幹事長は杉並区とはまったく違う地域での立候補をする。瀕死の保守政党に何が起きたのか。選挙戦の内幕を追った。

3年前の2012年の衆議院選挙。山田宏は自身の地元である東京8区(杉並区)から19区(国立、国分寺など)へ移動し、「日本維新の会」より立候補する。東京8区の現職代議士である石原伸晃(慎太郎の長男)は、東京自民党の三本指に入るほどの強い地盤を持っていたため、山田は逆立ちしても勝てない情勢だった。つまり山田は、党の比例名簿の順位で優遇を受けなければ当選できない状態だった。山田をよく知る党関係者Aは語る。

親子の絆が大事な石原ファミリー。(時事通信フォト=写真)

「山田は国替えし、伸晃と対決しない代わりに、比例優遇を党に要求した。党代表の慎太郎は息子の件では極度の心配性であり、山田の要求を呑む。山田にとっては、東京8区という不利な選挙区から逃れられるし、比例優遇され当選が確約され、万々歳となった」

今後も「伸晃カード」を活用すれば、比例で優遇されると考えたのか。12年の衆院選以後の山田の政治活動は、慎太郎とぴったり歩調を合わせることになる。14年初の都知事選では田母神を支援した。日本維新の会分裂の際には、慎太郎サイドである「次世代の党」に参画する。橋下サイドの「維新の党」では比例優遇の措置が原則ない。

山田は、維新分党の際に中間派を引き連れた功績も評価され、「幹事長ポスト」を勝ち取る。政党の選挙責任者である幹事長ポストさえおさえれば、自分の手で自分の比例優遇を獲得することが可能だ。

ただし、次世代の党が東京ブロックで比例議席を獲得するためには、国民的人気の高い慎太郎を立候補させなければならないし、慎太郎の選挙前の引退は阻止しなければならなかった。