裁判は意味なし。遺言で対策を

「介護と相続」は、とても難しい問題です。遺産分割がこじれ、裁判にまで発展しかねないからです。なぜ、もめるのでしょうか? それは、介護をした人と、していない人、両者の意識のズレが大きいからです。

私自身、介護施設の経営に携わっていることから、介護の大変さはよく理解しているつもりです。それでも、数年前から義父の介護をするようになって、初めて気づいたことも、たくさんあります。介護は、時間やお金はもちろん、精神的な負担も大きいものです。それは経験者にしか、わかりません。ですから、介護をした人は、相続において、他の相続人よりも「多くの財産を受け取って当然だ」と思うようになります。

一方で、介護をしていない人は、介護をしてくれている兄弟に感謝はしつつも、親の財産が気になります。親の傍らにいる兄弟が、財産を独り占めしようとしているのではないか、とつい疑ってしまうのです。親の預金通帳の保管を巡り、兄弟間で争いが起こることさえあります。

兄弟であっても、一度関係がこじれると、裁判にまで発展するケースもあります。私は裁判を否定するつもりはありません。なかには、お金が目的ではなく、裁判という公の場で、これまでの自分の思いを主張したいという人もいるからです。

とはいえ、裁判をしたところで、何も解決しないことは、理解しておいたほうがいいでしょう。裁判した結果が「遺産分割は法定相続分通り」となることは多くあります。時間をかけて、憎しみ合った結果がこれでは、むなしいのではないでしょうか。