未開封のとって置きの1本

とって置き、というものがある。わが家には清酒、焼酎、ワインなど常に数本、確保してあるが、それは備蓄であって、いずれ遅かれ早かれ空き瓶と化す運命にある。

唯一、とって置きと呼べるものが1本だけある。

92年2月27日、北海道余市にあるニッカウヰスキーの工場で講習を受け、発芽、仕込み、蒸留、樽造りなど実習というよりほとんど見学に近い参加をして、竹鶴政孝・リタ夫妻が暮らした住居を内見、お墓まいりの後、市内に1泊、翌28日、再び工場で樽詰め作業に立ち会い、モルトの詰まった樽にサイン、工場長から卒業証書なみに立派な和紙に墨書された「マイウィスキーづくり」修了証まで授与された。

そして10年後、02年12月6日、瓶詰めされたシングルモルトが送られてきた。以後、私にしては珍しく未開封のまま、数回の引っ越しと震災を免れ、現在まで「とって置き」状態にあるのが、「マイウィスキー」である。

初日の講習で、意外だったのは、ビールは発酵過程でほかの雑菌が混入しないよう、殺菌するが、シングルモルトの場合、殺菌を完璧にはおこなわないのだという。そのため、若干の細菌類が混ざることになる。

「これはミクロフローラと呼ばれ、風土、気候などそのシングルモルトが造られた環境によって異なり、それが独特の個性、味を醸すことにつながると考えられています」

技術責任者がそう説明した。

「ワインと同様、ウィスキーもききわけができる」

との主張に疑念をもっていたコリン・ウィルソンも、シングルモルトに出会って、考えを改めたという。(田村隆一訳『わが酒の讃歌』徳間書店)一時期、私も憑かれたようにシングルモルトにハマっていたが、いかんせん、値が張る。伸ばそうとした食指はいつしか寂しい懐に留まり、以来長い眠りについた。