バスティーユ襲撃の革命記念日

7月14日が訪れるたび、ふと、

「カトルズ・ジュイエか」

ほろ苦くも甘酸っぱい、いまとなっては一抹の郷愁さえ感じてしまう私なのである。

1977年のその日、私はパリの北駅に到着した。雑踏を脱け出し、向かった先は銀行で、当時はユーロなど存在せず、フランスではフランしか通用しない。両替をしないことには屋台のクレープさえ食べることはできない。いやむしろ、若い私はあの新聞紙に包んで出されるクレープにありつきたい一心で来訪したようなものだった。

さて、街を歩いて、すぐさま異変に気づかされた。人通り少なく、活気なく、まるでゴーストタウンのような殺伐とした雰囲気で、それもそのはず商店はことごとく閉まっている。あろうことか、銀行までも!

あわてて駅に引き返し、インフォメーションで尋ねると、

「バスティーユ襲撃の、革命記念日ですから。銀行も明日にならないと開きません」

こちらもバックパッカーとあってミネラルウォーターと黒パン、チーズくらいの蓄えはあった。移動はユーレイルパスで有効期間中1等乗り放題、国外逃亡も可能だったが、なにくそ野営だと地図を開き、郊外にある小さな公園をねぐらと決めた。サンラザール駅から各停電車に乗り、Sursnes(シュレンヌ)駅下車、セーヌ河畔にあるシャトー公園のど真ん中に真っ赤なツェルトを大いばりで張って、シュラフにくるまっていたら、ブンブン、とエンジン音がうるさい。ここにも革命記念とは無縁の連中がいるではないかとほくそ笑んだものだ。

そんなグループと仲良くなるのに、時間はかからなかった。マネキンのように端正なマドモアゼルが鶴首のボトルをラッパ飲みしているのをもの欲しげに凝視していたら、

「カルヴァ? シル ヴ プレ!」

回してくれた。初めて口にするカルヴァドスのなんと甘美でとろける陶酔であったか。