石垣島で初めて知った泡盛

七夕祭りが全国各地で催されている。ちょうどこの時期、石垣島では集落ごとに豊年(ぷうりい)祭で盛りあがっているはずだ。

沖縄海洋博が開催される前に、と思い立った私が友人を誘ったのは、40年前であった。学割を使って国鉄で、と計画していた私に、

「もったいねぇ。鹿児島までヒッチハイクだ」

と東京育ちのシティハイカーは、瀬田のインターチェンジまで連れて行き、そんなにうまくいくものかと不信全疑の私を尻目に親指 を立てれば、たちまち大型トラックが停止、東名高速道を浜松まで乗せてくれた。それから吹田まで、次から次へと長距離輸送車が ひろってくれた。運ちゃんは揃って、

「独りで運転していると眠くなる。話し相手のいるほうがこっちも都合いいんだ」

と、妙な需給関係を解説してくれたものだ。さて、吹田インターでザリガニの横断を眺めていたら、クーペが停まり、サングラスを かけたしぶい兄さんが、

「おれも鹿児島まで帰るところだ」

とんとん拍子で進んだ。思えば、このあたりから世の中をナメてかかったか。

沖縄から船で一泊二日、石垣島は南海の孤島という風情で、土埃のたつ道を水牛がのんびり闊歩し、見上げればヤエヤマオオコウモリがばっさばっさとカラスと鬼ごっこだ。

浜で仲良くなった女子高生たちは、笑うとみんなどこか歯を欠いていて、たぶん歯医者は本島沖縄まで行かないとないのだろう、と 勝手に解釈した。その子たちが教えてくれたのが、パパイヤのバター炒めであった。青い実を適当に刻み、炒めて塩、胡椒をふれば 、こりこりと歯ごたえよく、初めて口にした泡盛「玉の露」がさらに甘く感じられた。そのパパイヤは、

「どこにでも生えている。採ってもだれも文句なんかいわないさあ」

なんとものんびりとのどかで、彼女たちに誘われて見物したのが豊年祭なのであった。