学問の面白さをしった司法試験の勉強

昭和シェル石油 香藤繁常会長兼CEO

私が在籍していた1960年代後半、中央大学法学部は司法試験合格者数で東京大学や早稲田大学、慶應義塾大学を抑えてトップに立っていた。私自身も御多分に漏れず、その難関にチャレンジしている。法学部に進んだのは検察官への夢があったからだ。出身地である広島は、菅原文汰さんが主演してヒットした映画『仁義なき戦い』の舞台として知られる。昔は、実際に身近でもトラブルがあった。子供心にも何ともいえない憤りをおぼえた記憶がある。それが「社会正義を背負う仕事がしたい」という気持ちにつながったのかもしれない。

おそらく、本腰を入れて勉強に取り組んだのも、学問の面白さを知ったのもこの時期だったと思う。模範解答集を買ってきて、憲法、民法、刑法と繰り返し読んでいく。その甲斐あって、短答式・論文試験は2度クリアしたのだが、口述試験で躓いてしまった。そこで大学4年の春からは心機一転、就職目標を一般企業に切り換えた。できるなら親元に帰って孝行しようと考え、地元の自動車メーカーの採用試験に臨んだ。

一次試験が東京で、二次試験が広島だった。自分で言うのも何だが、大学の成績も良かったし、入社試験の手応えも十分だった。担当者からも色よい返事をもらったつもりでいたが、5月のゴールデンウイークを過ぎても、6月の声を聞いても、正式な内定通知が届かない。会社に問い合わせると「学園紛争のあおりで、来春の卒業見込みがきちんと立たない学生は採用見送りになった」という。私は採用だと安心していたので、他はどこも受けておらず、その年の就職戦線はもう終わっていた。

大急ぎで大学の就職部に行き、まだ間に合いそうな会社がないか相談したのである。すると「外資系の石油会社だが、ここならまだ可能性はありそうだ」という答えが返ってきた。そこで、大学の紹介状をもらい、東京丸の内の旧丸ビルにあった本社を訪ねたが、入口の天井の低さに窒息するような気分になったことを覚えている。そこを飛び出して、日比谷公園を歩いていると、彼方に霞が関ビルが見えたので「あんな場所で働けたらな……」と思いながら歩いていくと、シェル石油(現・昭和シェル石油)の看板が見えた。