今年で創立40周年を迎える日本電産。売上高7000億円の規模に、同社が成長できたのは、永守社長が率先して毎日働き続けた結果でもある。逆風の中、いま彼はどんな時間軸で未来を見据えるのか。
日本電産社長 永守重信氏

起きるのは朝4時。時差8時間の京都本社とメールや電話のやりとりをし、稟議書の決裁を済ませてから、7時過ぎに朝食をとる。クルマでホテルを出発、近郊のオフィスや工場で会議をし、ときには取引先を訪れる。日が暮れれば現地幹部や取引先との夕食会だ。

このところ海外出張が増えている。平均して1カ月に1回、旅程はおおむね1週間。月曜日に出たら日曜日に帰り、日曜日に出たら土曜日に帰るというスタイルだ。ヨーロッパに行くときは、だいたい以上のようなタイムスケジュールで動いている。

先日の出張では、まずフランスのパリに腰を落ち着け、現地オフィスで会議。パリ郊外の工場を訪ねてから、TGVでリヨンへ移動。空路イタリアのミラノに入り、買収先の幹部と夕食会。ミラノの会社では経営会議を開き、3つの工場を視察した。取引先に出向いたあとフランスへ戻り、パリから日本へ帰ってきた。

この間、移動時間もメール処理や書類の決裁にあてている。メールは1日に300本、稟議書は多いときで200枚もまわってくるからだ。私はふだん1人で行動することが多いが、書類をプリントしたりスキャナーにかける必要があるので、現地ではプリンターをかついだ若手社員に同行してもらう。

飛行場のラウンジではもちろん、クルマに乗っているときも目はパソコンの画面か書類の文字を追っている。だから車外の景色を楽しむゆとりはない。

そもそもタバコは吸わないし、40代のころに飲酒もやめた。観光にも美食にも縁がない。正直にいうと「こんな人生でいいのか?」と自問することもなくはない。だが、一代でこれだけの規模へ会社を引っ張り上げるには、個人的な楽しみを封じてでも、必死に働きつづける必要があったのだ。