時事通信フォト=写真

三菱自動車・次期社長 相川哲郎(あいかわ・てつろう)
1954年、長崎県生まれ。78年東京大学工学部卒業後、三菱自動車入社。2004年常務執行役。05年常務取締役。14年6月25日社長就任予定。


 

今期末には16年ぶりに株主への復配を実現する三菱自動車。「再生に一つの区切りがつき、新たなスタートラインに立った」として、益子修社長が会長兼CEO(最高経営責任者)に就き、次の社長兼COO(最高執行責任者)に“生え抜きエース”の相川哲郎常務が昇格する。益子社長が「業務経験が豊富で商品力、モノづくりの強化を確実にやり遂げるための最適任者」と太鼓判を押せば、相川氏も「若手の力を最大限に引き出し、技術とデザインを磨き、もう一度、スリーダイヤのブランドを構築したい」と抱負を語る。しかも「デザインは会社の規模に関係なく勝負できる。SUVや環境車を斬新なデザインで出したい」とも。

同社は三菱重工業の自動車部門から分離独立した会社だが、父親の相川賢太郎氏は、その重工で社長、会長を歴任した三菱グループの重鎮。原動機畑一筋で地熱発電プラント開発の第一人者でもある。その父親の背中をみて育った相川氏も東大では船舶機械工学を専攻。入社後は開発畑を歩み、主力の軽自動車「eKワゴン」など多くの新車開発を手掛けた。

リコール隠し事件発覚後、「仲間のエンジニアが相次いで会社を去ったのはつらく悲しかった」と語るが、ダイムラー傘下で開発中の軽自動車「i(アイ)」に開発停止命令が下ったときは「開発コード」を変更してまで極秘裏に続行。誠実で偉ぶらない性格だが、iのボディーをベースにした世界初の量産電気自動車「i-MiEV」も「あのとき、中止していたら作れなかった」と、技術屋魂を燃やす頑固さもある。

父親譲りの体質で酒は飲まないが、些細なことでも「頼まれたら断らない」のが信条で、信望は厚い。輝きを失ったブランドが再び蘇るかどうかは、相川氏の統率力にかかっている。

(写真=時事通信フォト)
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