出世は見込めず、そもそも会社の将来もどうなるやら。これからを考えるだけで、気持ちが滅入ってしまう――。ベストセラー『考えない練習』で読者から圧倒的な支持を得た名僧が、あなたの日頃の迷いに対して、考え方の筋道をわかりやすく説く。

年をとるほどに体力が落ちていくのは事実です。それを不安に思うか、思わないか――。

実のところ、「思う」「思わない」の選択の余地があるのに、現代人はあたかも選択の余地がないかのように「体力が落ちる=不安」と思わされていることが、問題なのではないでしょうか。

現代人は「若々しく元気でいることがよく、老いるのはよくない」という価値観を植え付けられ、洗脳されているように思われます。そして洗脳されればされるほど、「若さ」や「健康」に執着し、さまざまな衰えないための努力を必死にしたりする。最近では、体型や肌の若さなどを、芸能人並みに気にしている人が多いように見受けられます。

けれども、どれほどがんばってみても、人は着実に老いていきます。たとえば、40歳の状態を保とうと努力を重ね、その結果、周囲の人から若く見られたとしても、50歳になれば当然、40歳のときのままではいられません。

若々しさや優れた容姿、健康性は、人間の「慢」の煩悩を刺激するものです。こうしたことに自分の価値を置いて、アイデンティティを保っている人は少なくなく、とくに「若々しく元気=良」と思わされている現代人には、そのような人が増えているでしょう。

しかし、若々しさや容姿、健康性に自分の価値を置いてきた人、また、そうした面で他人から評価されてきた人ほど、老いを受け入れがたく、衰えたときのショックが大きくなります。そのために落ち込んだり、この先の衰えの進行に怯えたりして、不幸になってしまいます。

さらに申せば、「若々しく元気でいたい」との願望は、突き詰めれば「死にたくない」ということです。あらゆる生命体はいずれ死んでいきますが、「死にたくない、死ぬのは嫌だ」と思うほどに死がつらいものとなります。誰もが免れようのない老いや死を拒絶することは、老後の苦しみを増やすことになるのです。

仏道の根本は、事実を事実として「受け容れること」ですが、年齢による衰えを受け容れ、老いを受け容れることは、この先の人生を穏やかにします。そうして老後が「安らか」になるという意味で「安心」といえるでしょう。

月読寺住職・正現寺住職 小池龍之介
1978年生まれ。東京大学教養学部卒。正現寺(山口県)と月読寺(神奈川県)を往復しながら、自身の修行と一般向けに瞑想指導を続けている。『考えない練習』『ブッダにならう苦しまない練習』『もう、怒らない』など著書多数。
(構成=岩原和子 撮影=若杉憲司)
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