がむしゃらに働いているのに小遣いはごくわずか。妻と子どもはそっぽを向き、老親の介護も。こんなに苦しいのに誰もわかってくれない――。ベストセラー『考えない練習』で読者から圧倒的な支持を得た名僧が、あなたの日頃の迷いに対して、考え方の筋道をわかりやすく説く。

「少ない」「足りない」と思う理由としてはまず「欲しいものが買えない」ということが挙げられるでしょう。それは「欲しいものが多すぎる」せいかもしれず、「なぜそんなにも欲しくなるか」を、考えてみる必要があるかもしれません。

他方で、「小遣い」という形で、妻から分配される額に「少ない」と不満を抱くのは、小遣いの額=自分の査定額のように感じられるから、ということがあります。妻の自分への愛情が小遣いの額に反映されていると感じるわけです。

その場合、不満の根源にあるのは「もっと自分の価値を認めて愛してほしい」との思い。これは仏教的には「慢」の煩悩であると申せます。「慢」とは「自慢」「傲慢」の「慢」であり、自分の評価への執着です。煩悩は私たちを「煩わせ」「悩ませる」心の衝動ですが、そうした心の仕組みによって不満が生じることを知ると、小遣いの額に対する感じ方が変わってくるのではないでしょうか。

また、自分が稼いできたお金なのに、妻や子どものために使われて、自分が自由に使えるぶんが少ないことが、いわばピンハネされているように感じられ、得心がいかなかったりもするでしょう。

しかしながら、妻や子どもという、自分にとって大切な人のためにお金を使うのは、なかなか有意義なことと思われます。稼いだお金を自分のためだけに使うのでは、時としてむなしくなり、働く意味が見出せなくなりかねません。自分が稼いだお金で、子どもに教育を受けさせられる、妻に新しい服を買ってやれる。大げさな言い方をすれば、自分が働いた成果で家族が生きていける。

「誰かのため」は、働くことの大義名分を与えて、自分を支えてくれます。自分が家族を支えているつもりが、自分が家族に支えられてもいるわけで、実際には持ちつ持たれつなのに、人は「持たれつ」のほうを忘れてしまいがちです。お金が家族のために使われるのは、実は家族からかなり価値のあるもの、プライスレスなものをもらっているのだと理解するといいでしょう。

月読寺住職・正現寺住職 小池龍之介
1978年生まれ。東京大学教養学部卒。正現寺(山口県)と月読寺(神奈川県)を往復しながら、自身の修行と一般向けに瞑想指導を続けている。『考えない練習』『ブッダにならう苦しまない練習』『もう、怒らない』など著書多数。
(構成=岩原和子 撮影=若杉憲司)
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