「恋愛至上主義」が結婚の足かせに

女性誌を読んでいる人はモテないかと言われると、まず「卵が先か鶏が先か」という言葉が思い浮かびます。もともとモテないからそれを改善したくて女性誌を読んでいるのか、それともモテないから女性誌を卒業できないのか、どちらが先かはあいまいです。ただし、そこに「共犯関係」を指摘することはできそうです。つまり、女性誌を読むことでモテに対して努力をしているつもりになって、結局は前に踏み出せない――。

数年前には「できる女性がモテる」という言説が流行りました。2001年に出版された『おひとりさま』(岩下久美子著)は、ひとりが楽しめないとふたり(カップル)でも楽しめないという内容でしたし、08年の『勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド』は、キャリアを積んだ女性は高収入男性とも近づきやすくなる、だからまずは年収600万円を稼げるようになろう、というものでした。でも、「できる」と「モテる」の両立は難しいことです。

戦後まもない時期からバブル崩壊前までは、若者が進学や就労に応じて農村部から都市部へと人口流入し、農業従事者の子どもが大卒ホワイトカラーになるという世代間の「社会移動」、つまり職業移動も容易に起こりました。しかし1990年代以降はこれが頭打ちとなり階層構造も固定化し、いわゆる「格差社会」となりつつあります。若者は別の階層にいる人と出会う機会が減り、女性は結婚に伴う階層上昇機会が減少することとなりました。

いま女性誌を熱心に読む層は「アラサー」や「アラフォー」だと聞きます。この世代の女性には、かつてのような結婚による階層上昇を強く願い、それを諦めきれない層がいる。女性誌はそんな人たちの「心の安定剤」になっている側面があるのでしょう。

社会学には「ロマンチックラブ・イデオロギー」という言葉があります。結婚と恋愛を強く結びつける価値観のことですが、いまでは結婚できない女性の最後の心の拠り所になっています。「本当に愛せる人がいない。だから結婚しない」というわけです。ところが、ここにはかけ違いがある。男性は「愛があれば、お金がなくても構わないだろう」と考えますが、女性は「私を愛しているのだから、お金のことで不自由はさせないはず」と思っているんですね。