月読寺住職・正現寺住職 
小池龍之介さん

幸せの感じ方は人それぞれです。お金が手に入れば幸せという人もいるし、人から愛されることが幸せだと思う人もいる。仕事で評価されることに幸せを感じる人もいるでしょう。

しかし、こうした心が満たされたような感覚はどれも、脳内でドーパミンが発射されて生じた刺激によりつくり出される、バーチャルなものにすぎません。満たされたように感じるのは、それ以前には満たされていない状態にあったからです。人は何かほしいものがあって、それが手に入らないとき、つまり満たされていないときには「苦しい」と感じます。そして、満たされなかったものが満たされた瞬間にいままでの苦しみがすっと消えて、「もう苦しくない。ああ気持ちいい」と感じる。これが快感の正体です。

「一切皆苦」という仏教の根本原理があります。人間が心と体を通じて知覚できる刺激は、「苦」という感覚だけ。「苦」の量が増減するだけという考え方です。その「苦」が減じた状態を脳が勝手に情報処理して、「快」と錯覚させる脳内物質を分泌します。欲望が満たされたり、目標が達成されたりすると、脳の神経回路が刺激され、快感物質のドーパミンが大量に発射される。それで「気持ちいい」と感じますが、神経には負担がかかっていますので、“現実的”には「苦」なのだと申せるでしょう。

しかしドーパミンはずっと放出され続けるわけではありません。快感物質を放出する神経回路が刺激されるのは、欲望が満たされたり、目標が達成されたりしたほんの一瞬だけ。そのときの快感は記憶に残って、「あのときは気持ちよかった」と思い出すたびに多少のドーパミンは出ますが、それは時間の経過とともに少なくなってきます。そしてそれは、神経レベルでは不快な信号として認知されるようになっていて、ドーパミンが出た後には必然的に物足りなくなってそわそわと落ち着かなかったり、満たされなくなってイライラしたりしてくるのです。