入社4年目で部下が50人

「あの電車も、我々が開発したシステムで動いているんです」

日立製作所 情報制御システム事業部  冨田浩史氏

JR秋葉原駅前にある、日立製作所の本社機能が置かれたビルの18階。眼下を走る電車を窓越しに眺めながら、冨田浩史氏の表情は少し誇らしげだ。

冨田氏の言う「システム」とは、JR東日本の「東京圏輸送管理システム」。通称「ATOS(アトス)(Autonomous decentralized Transport Operation control System)」と呼ばれ、輸送管理の近代化を目的に導入された、大規模で総合的な情報システム。JR東日本と日立製作所の共同開発である。

冨田氏は42歳の若さで、インフラシステム社・情報制御システム事業部の交通システム本部交通システムエンジニアリングセンタの初代センタ長として、日立側の責任者を務める。

1日に何万本と走る電車は各駅、特急、急行、快速と種類も様々で、私鉄や地下鉄等との乗り入れもある。この極めて複雑なダイヤを、多いときにはわずか2分間隔で運行しなければならない。しかも、変更時に数日ATMを止める銀行等のシステムと異なり、休みなく動き続けるATOSはそれができない。そんな条件下で、10万人単位の乗客の命を預かるスケールと責務の重さは計り知れない。

実は、このシステムはまだ完成していない。首都圏を走るJR東日本管内の在来線の大半はすでに網羅しつつ、今も拡張し続けているのだ。

冨田氏は1992年に入社。大みか工場(茨城県日立市)に配属され、研修後に首都圏の在来線向けの運行管理システム開発プロジェクトに参加した。

取引先のJR東日本とは「互いに勉強しあう感じ」。同社は民営化されてから日も浅く、社員たちも皆みずからを革新する気概に満ちていたという。

「JRさんからは鉄道信号の安全や安定輸送の調整などを学び、逆に日立側がコンピュータについてJRさんに教えたりしていましたが、とにかく安全、安全、安全。安全が第一の使命だという鉄道会社の文化を、私も叩き込まれました。逆に日立側からOJTで学んだのは、情報制御システムのつくり方やチームでの仕事の仕方、そして勘と経験と度胸――いわゆるKKDですね。最初の4年間は、月に1~2日休めればいいほうでしたが、普通の人の8年分くらいは働いたと思っています」

小学生の頃からプログラミングに親しんできた冨田氏。早期からプロジェクトリーダーを任され、4年目にはすでに年上を含む50人の部下を率いていた。