姉との確執
筑紫さんは、母親にとってどうすることが最善なのかを考え始めた。
「実は、母が倒れる8日前に姉は『お母さんと一日中一緒にはいられない』と私に言いました。そんな姉が土日に母を介護できるわけがありません。また、3月にパートを辞める予定だった姉は、母が倒れてから『これからお母さんにお金がかかるから仕事を続ける』と言い出しました。母は所有するアパートの家賃収入もあるので介護費用は十分まかなえます。私も叔母(母親の妹)も、母を看たくないための口実だろうと思いました」
悩んでいる筑紫さんを見て、夫は「うちで看てあげたら?」と言ってくれた。
「3年ほど前に、母自身が、『お母さんはお前と暮らしたほうがよさそうだ。将来的にね』と話していたことがありました。母の妹である叔母にも、『お前のところがいいだろう。姉さんのところじゃ治るものも治らない。でもお前が大変になる……』と言われました」
筑紫さんは在宅介護について調べた結果、「自分にもできそうだ」と思った。
「残念ですが、母にとってのこれからは“余生”なんだ。母が一番望む生活を送らせてあげたい……と思い、私は約2週間悩んだ末に、母を引き取ることを決意しました」
3月初め、筑紫さんは姉に電話をし、
「姉ちゃんにはお母さんを愛情持って看ることは無理でしょう? 私がお母さんを看るよ」
と伝えた。
すると姉は「私を責めるの?」と怒り出し、これまで母親と暮らしてきて、自分がどんなに大変だったかをあげ連ね始める。
「私が聞く限り、どれも決して母のわがままでも何でもなく、ただ姉が自分の思うようにならない事への八つ当たりにしか思えず、そこに母を尊重する気持ちは全く感じられませんでした」
最終的には
「じゃあ、お母さんに聞いてみれば! お母さんを看てみればわかるわ!」
と姉は吐き捨てるように言い、電話を切った。
「姉の子どもたちが小さいうちは、子どもの世話や家事で母にかなり頼っていたので、母に対する愚痴はなかったのですが、子どもたちに手がかからなくなってから、姉と母は折り合いが悪くなっていきました。母は神経質でせっかちなところがあるので、姉にとっては自分のペースで生活することができず、不満が募っていったのだと思います」
姉は母親を邪魔者扱いするようになり、筑紫さんに話すことといえば、母親の悪口ばかり。うんざりした筑紫さんは、姉と距離を置いていた。
「母が倒れてから、“雨降って地固まる”というように、姉の母に対する態度や考え方は変わるかもしれないと少し期待していましたが、全く変わることはなかったので、姉が愛情を持って母の介護をすることは難しいと判断したのでした……」(以下、後編へ続く)