子育てをしながら駆け抜けた20年間

「一生炭鉱で働いていたかったけれど、人生思うようにはいかないね」と恥ずかしそうに話す、まさるさん。

復縁後、小さな町は噂がすぐ広まるという理由で、家族4人で暮らすために北海道を離れ、親戚の勧めで千葉県の鉄鋼会社の職に就いた。

「慣れない仕事で、若い兄ちゃんにあーだこーだ言われて、悔しかった。何度布団の中で泣いたことか」

酒と競馬。炭鉱で得た退職金の半分を失うほどのめり込んだ。「仕事と家庭のストレスから、40歳から50歳まではヤケクソの人生」と笑う。

まさるさんの生き方に、“意固地になる”はない。過酷な環境下でも、自分のことは自分でやる。家族のために働く。信念は貫くが、我は通さない。樺太で身につけた根性魂があるからだろう。必死で毎日を過ごしているうちに、いつしか仲間の一員として認めてもらうようになった。

そんな時、妻が腎臓病で倒れて入院することになった。幸運にも会社は3交代制だったから、仕事の合間に子供の面倒と妻の看病をすることができた。誰かのために料理をつくり始めたのもこの頃からだ。

退院してからも病弱な妻との喧嘩を避けるため、家事のほとんどをまさるさんが引き受けた。その甲斐あって、子供たちは素直に育つ。働き盛りの時期を、サラリーマンと主夫という二足のわらじで駆け抜けたのだ。

57歳の時、妻が逝った。(後編に続く)

写真=長野陽一
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