「社長だったら大丈夫」倒産危機を脱したのはバンカーの後押し
しかし、暗雲が垂れ込める。
2018年に道の駅の指定管理期間が終了。前年度に四万十町の議会に提出していたプロポーザル(地方自治体などが業務を外部に委託する際に利用する、競争入札方式)がまさかの1票差で不選出、同社は商品販売する主戦場を失ってしまったのだ。
「結果を出してきたのだから、俺もスタッフも選ばれて当然と思っちょった。発表直後は茫然自失でしたよ。一体どういうことなのかと怒りに震えましたね」
畦地さんはこれまでずっと「ピンチはチャンス」の姿勢で切り抜けてきた。残された道の駅内の直営カフェにある小さな加工場でスイーツ製造販売を続けるものの、製造量には限界があった。半減する売り上げ額では、毎月の人件費すらままならない。
資金がないなか製造業務以外にどう仕事を作ればいいのだろうか。アイデアが浮かばない。目減りする数字に脳裏に浮かぶのは「倒産」の2文字。今回の窮地にはさすがに心が折れかけたという。
それでも、捲土重来の策として、ひねり出したのが自社工場「しまんと地栗工場」の建設構想だ。半ば開き直って小売業から製造業になるという大勝負に出たわけだが、総工費は2億円。融資を受けても返済できるかは不透明だ。畦地さんは不安で押し潰されそうになっていた。
「社長だったら大丈夫。やりましょう!」
絶体絶命の大ピンチに力強くこう言い切ったのは、高知銀行大正支店支店長(2018年当時)の岡田一水さんだ。誰の目で見ても経営状況が逼迫した同社に、なぜ巨額の融資を決めたのだろうか。
「四万十ドラマさんは、10年間の道の駅運営を通じて四万十の名前を全国区に広めた功労者。畦地社長は大きな目標を掲げてやり遂げる力がありますし、スタッフのみなさんも意欲のある方ばかり。バンカーとして、未来ある地域の宝が崩れていくのを見過ごせませんでした」(岡田さん)
岡田さんの強力なバックアップがあり、無事融資が実行。同社は製造業社として改めてスタート地点に立つことができた。
2021年5月、自社工場が竣工。国際水準の食品衛生管理基準を満たす高知県版HACCP(ハサップ)の第3ステージも取得。加工場面積が5倍になり、製造数量が3〜4倍と劇的にアップした。道の駅でも大人気の「焼きモンブラン」は1日5000個、「いも菓子ひがしやま。」は1日1万枚が製造可能になった。
2023年の年商は4億超。売り上げを2年で2倍に巻き返した。工場建設を後押しした岡田さんは、「すべては企業努力。なるべくしてなりゆう」と声を震わせる。
中山間地域から世界の市場に挑む
同社は2022年から「しまんと流域organicプロジェクト」と称し、有機栽培の取り組みも強化している。加工品の原材料を無農薬産品に転換するのだ。世界のニーズに応える一因もあるが、すべては四万十川を未来に引き継ぐことに繋がっている。
2024年夏、畦地さんは取締役社長の座を次男の剛司さんに継承し、現在は会長職として経営を見守りつつ、販路拡大のため海外市場との交渉も積極的に図っている。
四万十ドラマが紡ぐ挑戦の物語は、まだまだ続いていく。