新しいものが好きで、58歳のときパソコンもいち早く購入したが…

そんな中、大切にしてきたのは、自身の好奇心と「自分の頭で考えること」だ。

若宮さんがパソコンを購入した当時は、一般に普及する前、周辺機器を含めて40万円ほどだった時代。会社で操作したこともない完全な素人からのスタートで、パソコンのセットアップやパソコン通信の接続設定の準備もやってくれる人がいたわけでも、教本を読むわけでもなく、自分でいじくりまわして3カ月、苦労の末にようやく接続した。

若宮さんのエクセルアート(蝶よ花よ)

そこから必要に応じてパソコンを使ううち、シニア向けのパソコン教室を開くことになり、コンピュータを理解してもらうためにエクセルを使うことを選択。しかし、エクセルには難しいイメージがある上、「家計簿をつける」「自分の血圧の数値を入力してグラフにする」といった作業は楽しくないと思い、エクセルのセルに色を付けたり、罫線を強調したりする機能を主役に図案を描いて遊んでみることを考えた。それを「エクセルアート」と名付け、手芸やデザイン感覚で繰り返しの模様を作り、今ではその図案を布にプリントしてシャツを仕立ててもいる。

撮影=阿部岳人
若宮さんのエクセルアート

何事も自己流、シニアの楽しめるゲームアプリを作りたくて…

何もかも独学かつ自己流の若宮さんがプログラマーになったのも、「プログラマーという職業に就きたい」と思ったからではない。

お雛さまを並べるゲーム「hinadan」を開発したのは、若者が得意な素早い動きのものばかりで、シニアでも楽しめるようなゲームアプリがなかったため。しかも、最初は自作する気などなく、プログラマーの知人に作ってほしいと頼んだところ、自分で作った方が話題になると勧められ、リモートでアドバイスをもらいながら作り上げたのだと言う。

「子どもの頃から好奇心が強かった。でも、当時は全部手作業の時代で、私が三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入社したころは、まだお札を1枚1枚数え、お客様の通帳にお名前を手書きして、計算はそろばんという時代でしょう? 私は手作業が苦手だったから、なかなかついていけなくて、当時は自分が役立たずで、会社のお荷物で月給泥棒だと思って、少しいじけちゃっていたんです。人間、いじけると体調を崩すんですね。それで、会社を休んだりしたこともあります。だから、銀行に自動紙幣計算機が導入されたときは、私の苦手な部分を代わりにやってくれると思いました。機械は私にとって救世主だったんです」