名宰相が特に好んだ料理

さらに「角さんはね、あれは喜んだよ」と言う。“あれ”とは向瀧名物「鯉の甘煮うまに」。鯉を輪切りにし、砂糖をたっぷり入れて、醤油と酒で5~6時間ほどかけて火にかけ骨まで柔らかくしたもの。甘じょっぱい味を田中角栄が好んだのは、味付けの濃い雪国で生まれ育ったためだろう。

『宿帳が語る昭和一〇〇年』より
角栄氏が好んだ「鯉の甘煮」

「はなれ」の浴室の湯船には源泉が注がれる。浴場は湾曲した折り上げ式格天井が特徴で、ガラス窓越しに外から入った光が白と黒のタイル張りの浴場を照らし出す。

湯船はひとりサイズ。御影石の少し深い風呂に入ると「ざぶ~ん」と湯が溢れ出る。その湯音が天井にこだまする。田中角栄もこの湯の音を豪快に響かせながら入ったのだろうか。

渡部恒三が「偉くなったら泊まりたい」とまで評した、いわば人生の目標とした名旅館「向瀧」の真髄とは――。

老舗旅館と政治家の意外なつながり

「向瀧」は、会津若松駅から車で15分程のところにある。湯川沿いに進むと永観橋の向こうに、緑に囲まれた赤瓦葺入母屋根の木造二階建てが現れる。「向瀧」の名が掲げられたその建物が目に入った瞬間、「ここに泊まるのか」と背筋が伸びる。一方で「ここに泊まれるのか」と気持ちが高まる。

平成8(1996)年に「登録有形文化財制度」が施行され、「向瀧」は第一号に登録された由緒ある旅館なのだから、緊張感と高揚感が同時にわいてくるのも当然だ。

「向瀧」の創業は明治6(1873)年。

会津藩上級武士の指定の保養地だった「狐湯」を平田一族が受け継ぎ、宿を始めた。

5代目の主の平田昇は渡部恒三の親友だ。

渡部恒三は述懐する。

「平田昇と俺は中・高・大学と、同級生で兄弟以上の付き合いだ。俺が衆議院議員になったばかりの頃は質素に暮らしていたし、会津に家がなかったから、『向瀧』を自分の家のように使わせてもらった。もう、最高の贅沢だったなぁ。

旅館はさ、特定の政治家を応援しないという所もあるけど、昇は後援会長になってくれて一生懸命、俺を応援してくれた」

渡部恒三と平田昇の親密さを現社長の平田裕一さんが明かした。

「父・昇は渡部先生を『コウゾー』と、渡部先生は『ノボルー』よ呼んでいました。渡部先生が会津若松で仕事をされる時は、『向瀧』の客室に泊まられるのですが、食事はいつも平田家の食卓で、家族のように一緒に食べました。渡部先生は、『かぶ汁が美味しい』と、かぶの味噌汁を好んで召し上がっていました。旅館に来ているというより、同級生の家に遊びに来ているという感じでした」