「思う」と「気づく」とは何が違うのか

【鳥羽】そこはもうちょっと聞きたいな。「思う」と「気づく」は、どのように違いますか?

【古賀】うーん……。感覚的なことなので、言語化するのはとても難しいのですが……。「思う」というのは感情の世界なんだと思うんです。要するに「嬉しい」「悲しい」「怒る」の、どれかに自分を当てはめるだけ。それはすでに誰かに用意された言葉ですよね。それに対してリアクションしているだけ。でも観察をすると、リアクションに至るまでの道筋がわかるようになります。

「気づく」のとき、人は比喩的になりますよね。「この感じ○○みたいだな」と。言葉に奥行きと広がりが出て、そうして豊かになる。人の考えていることはもっともっとユニークなのに、感想に押し込めちゃうなんてもったいない。感想文はやめて、「観察文」を書くことをオススメしたいです。

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自分の感想を「一旦かっこに入れる」

【鳥羽】自分軸の感想を禁止して、観察によって新しい回路を生み出していくこと。それが学びなんですよね。本を読むときも先生の授業を聴くときも、自分の感想は一旦かっこに入れて「こういうものなんだ」と愚直に読み取っていくことが大切です。いきなり感想を言おうとすると、「楽しかった」「つまらなかった」で終わっちゃいますから。そこは一旦我慢が必要なんです。

【古賀】感想をかっこに入れて文章や言説を受け取ることは大切だし、それは意識しないと身につかないよなって思います。私の書いた文章も、すぐに我がこととして感想を言う人がいて、それも感想をカッコに入れないで読まれたからなのかな、と感じることはよくあって。

【鳥羽】SNSに氾濫する言葉のほとんどは自分語りですね。何を読んでも自分の話をしてしまう。一種の現代病と言える。

【古賀】すべての言葉が自分に向けられていると勘違いしちゃってる人はいて、極端な場合は、本当に精神的にマズい方向にもいきかねなくて、それは心配ですね。

【鳥羽】そうなんですよ。だから「感想禁止が学びの秘訣」ということは広めていったほうがいい。それは子どもと接するときのヒントになるだけではなくて、自分自身を見つめるときの助けにもなります。