その接客は本当に客のためなのか?
たしかにそう言われれば、読者諸氏も思い当たるフシがあるのではなかろうか。店舗に入った途端、店のあらゆるところで作業中の店員から「いらっしゃいませ! こんにちはー‼」と声がかかるが、彼らはあなたのことを一切見ていない場面を。
また、買い物を終えて店舗を出るときも「ありがとうございましたー‼」と確かに言われるが、彼らは同じくあなたに一瞥もくれておらず、商品整理の手も止めてはいない。
「おもてなし」の質の高さを誇っているはずであるにもかかわらず、われわれが街中で見かける接客の多くは形式的かつ作業的。おもてなしの語義であるはずの「訪れる人を心から慈しみ、お迎えする」との意味合いからはもっとも遠く離れた光景のように感じられてしまうのだ。なぜこのような歪なギャップが生まれてしまうのだろうか。
その元凶は恐らく、本来まったく別の概念である「サービス」と「おもてなし」をごっちゃにし、「おもてなし」の文脈で「サービス」を提供しようと無理強いしたあまり、サービス提供側が疲弊してしまっている構造にあるのかもしれない。
「おもてなし」とは対等な立場で敬い合うこと
おもてなしを推進する指導者育成、資格認定をおこなっている団体「国際おもてなし協会」によると、「おもてなし」とは「行う側と受ける側が対等な立場で、お互いがお互いを敬い大切に想う気持ちから、ともに良い時を過ごそうと心を尽くす」行為である。
一方、「サービス」とはラテン語で「奴隷」を意味するservitusという言葉が語源であり、「受ける側と提供する側の間に主従関係が存在し、求められることをその通りに行うことが求められる。そしてその対価として主に金銭的な報酬を得ることを目的に行われる」ものと説明されている。
したがって、本来は上下関係がないはずの「おもてなし」が、現代の接客業においては事実上従属的な「サービス」として厳格にマニュアル化されてしまっているわけだ。
サービス提供側は「善意で心を尽くす」ことが強いられ、形として「おもてなし」しているにもかかわらず、顧客側は「金を払ってるんだから尽くされて当然」とばかりに受け取り、提供側に感謝もせず、心づくしのサービスそのものに対する対価を支払うわけでもないので、サービス提供側は疲弊するばかり、という構図なのだ。
そこにあるのはもはや「お互いを大切に想う心尽くし」などではなく、「客からの余計なクレームを避けたいがための、慇懃で空虚な儀礼的マニュアル」でしかない、と言い切ってしまうのは言葉が厳しすぎるだろうか。