変化① 映画界でのCG革命

1940~70年は米国ベストセラーリスト1位になった作品は3つの例外を除いてすべて映画化されている。映画が書籍の評判に追随していた時代だ。だが1970~90年に関しては映画になったのは9作品。

なぜ減ったのかといえば「テレビの隆盛で映画が不況期であったこと」そして「映画化することが難しい小説が好まれるようになった」と考えられている。

日本でも「読んでから見るか 見てから読むか」の角川映画が小説と映画のメディアミックスを仕掛けたのが1970年代末~80年代と比較的最近の話で、一人称や情景描写が中心のテキストメディアと、世界観を含めた3次元の空間を作りこまなければいけない映像メディアは必ずしも相性がよいとはいえない。

特に「ハリー・ポッター」のような空想世界を映像として説得性を持たせるには『ジュラシック・パーク』(1993)や『タイタニック』(1997)などのCG技術の進化が必要不可欠であり、1950年代からベストセラーだった「指輪物語」がようやく『ロード・オブ・ザ・リング』として映像化したのが2001年。

ハリポタ映画化も同年であり、この2001年は「ファンタジー作品のCG映画化元年」でもあった。その点ではローリングも相当に幸運だったといえる。これは10年前であれば、映像化のしないベストセラーで終わっていただろうし、10年後であればすでに指輪物語やナルニア国物語など別のものに取ってかわられていただろう。

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イギリスより日本の方がヒットした

1980年代ごろまではトップ街道を走っていた映画会社ワーナー・ブラザースにとって、90年代後半から水をあけられたディズニー、ユニバーサル、ソニーなどのグループに一矢報いるためハリー・ポッターは起死回生の手段だった。

「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズと「ハリー・ポッター」シリーズで好調を極めたワーナーは2000年代末には米国メジャー6のトップに躍り出て、実際にそれまでの稼ぎ頭だった「バットマン」シリーズとの両輪で会社の主軸IPとなっていく(その後の10年はマーベルシリーズで再びディズニーがハリウッドの頂点に君臨していく)。

ここ数年こそ低調ではあっても、『タイタニック』『アナと雪の女王』など米国に次いで日本市場が一番の映画の稼ぎ頭だったというハリウッド作品は少なくない。

『ハリー・ポッター』もまさに同様で8作品はシリーズを通してほとんど売上を落とさず、8作目の最終版は13億ドル(約1170億円)を超えるピークをつけている。後続のファンタスティック・ビースト3作もあわせて、実はその好業績を支えたのは米国に次いで、ほぼすべて「日本」であった。母国英国よりも日本市場での稼ぎのほうが大きいのだ。