生放送は収録モノと違って、高度なスキルと経験値が必要になる。何が起こるかわからない状況の中で的確に出演者やスタッフに指示を出し、なおかつクオリティの高い内容の演出をしなければならない。トラブルが起こったときの処理能力も求められる。
それは一朝一夕ではできない。テレビのおもしろさは「リアリティ」だ。そして「速報性」である。生放送はそういったテレビの特性に合っている。生放送のノウハウを伝承してゆくことは、「テレビのDNA」を受け継いでゆくことに他ならない。
また、大型番組は、社内の各部署との意志疎通においてもプラスになる。系列局との連携強化も可能にしてくれる。素晴らしい番組を発信するキー局のネットワークに入っていたい、そう思ってくれると地方局との関係もより強固になるだろう。
「24時間テレビ」の終わり、それはテレビの終わり
このように、「24時間テレビ」のような番組はいろんな視点から見ても意義が深い。しかし、そこには大きな問題がある。それは、そんな番組は多くは存在しないということだ。そしてそんな番組がなくなってしまったときが、テレビが終わるときなのだ。
いまはテレビ局の大きな「ほころび」を取り繕うために続けている「24時間テレビ」だが、テレビ局の幹部や経営者だけでなくテレビに関わるクリエイター一人ひとりが、そんな番組の存在意義を改めて考え直すときが来ているのかもしれない。