東北復興に動き出した一人の科学者

ちょうどその頃は専門家の間では、1997年稼働のスプリング8の次世代施設の必要性が認識され始めた時だった。2011年の政府の第4期科学技術基本計画にもナノテクノロジーや光・量子科学技術が科学技術の強化につながると指摘されていた。

だが東日本大震災の甚大な被害を目の当たりにし、呆然と事態の推移に狼狽するばかりの日本人が多かった段階である。そんな時に高田氏は早くも東北復興に向けて動き出していた。

高田氏の持論である「科学者はサイエンスを研究するだけではなくて、その成果を社会に還元し、みんなが幸せになるよう貢献しなければならない」を実行しようとしたのだった。

筆者撮影
ナノテラスには最大28本のビームラインの設置が可能だが、現在は10本が稼働中だ。

東北に放射光施設をつくるとなると、東北大学をはじめ東北地方の大学も巻き込まねばならない。高田氏は石川センター長とともに、旧知の大学教授の紹介で日本金属学会会長を務めた早稲田嘉夫東北大学名誉教授と2011年8月6日に京都で会った。3枚の説明資料を持参した。高田氏の説明を聞き、早稲田名誉教授は放射光施設の重要性は分かるが、それをどのように東北につくっていけるのだろうかと戸惑いも見せたという。

それはそうだろう。巨額の資金が必要である。国はどう関わってくれるのか。多くのステークホルダーとの調整もある。難題ばかりだ。しかも7月29日に「復興基本方針」が策定された直後である。復興庁もまだない。高田氏らの提案は雲を掴むようなものだった。

理化学研究所を退職し、東北大へ

だが高田氏が投げかけた一石は波紋となり、広がってゆく。東北大学をはじめとした東北地方の7大学(弘前大学、岩手大学、秋田大学、東北大学、宮城教育大学、山形大学、福島大学)が動き始める。

●2011年12月 東北国立7大学(代表:入戸野修・福島大学長〈当時〉)が 東北放射光施設計画の趣意書を発表
●2012年6月 東北国立7大学が「東北放射光施設推進会議」を発足
●2012年8月 東北放射光施設推進会議が文部科学大臣に構想白書を提出

高田氏らの熱意が各大学の総長、学長を動かし、地域全体の動きへとつながった。2014年7月には推進会議は「東北放射光施設推進協議会(現NanoTerasu利用推進協議会)」となり、7大学に加え、東北各県、東北経済連合会などの経済界も参加し、放射光施設の建設に向けて具体的に動き出した。

高田氏は多くのステークホルダーを放射光施設建設プロジェクトに巻き込むと同時に日本学術会議や日本放射光学会にも働きかけ、プロジェクトの座組をつくりあげていった。

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稼働中の10本のビームラインは3本が国の共用ビームライン。7本は産学が活用するコアリションビームライン。