競争は「負けるが勝ち」精神で
たとえばエレベーターを乗り降りするときや、列に並ぶとき、よほど急いでいない限り、先を争って前に出ようとはしません。大半の人が「お先にどうぞ」と先をゆずるのではないかと思います。そのほうがつまらないいざこざが起こりませんから。
ただこと仕事になると、少々様相が違ってきます。出世競争にあっては、人を蹴落としてでも上にいこうとする人が相当数います。
また企業間競争では、営業の数字を上げようと、ぐいぐい前に出ようとするセールスパーソンが多数派でしょう。「お先にどうぞ」なんて悠長なことはいっていられないのかもしれません。
しかし実際問題、どうでしょう? 会社で出世していく人を見ていると、たいていが自分よりもみんなを後押ししてあげる気持ちが強いように見受けられます。
また成績のいいセールスパーソンは、自社・他社にこだわらず、顧客のニーズに合うものを勧める、そのくらい度量が大きいように思います。
結局、人を押しのけてでも前に出ようとする人は、人望が得られない、ということです。みんなを後押しする人が、周りから推される人になるのです。
どうせなら、“味のある”外見を目指してみる
若い人はもとより、中高年の方のなかにも、外見を気にしすぎではないかと思える人がたくさんいらっしゃいます。もちろん外見はおろそかにするべきものではありません。
人に不快感を与えぬよう、身だしなみや表情に気を配ることは大切です。メイクやお手入れを入念にし、弱点をカバーする努力をすることもある程度は必要です。
ただ、たとえば顔が大きいだの長いだの、目が小さい、鼻が低い、足が短いなど、自力でどうにもならない遺伝的要素まで気にするのはいかがなものでしょうか。あるいは加齢とともに訪れる衰えを人為的に止めようと躍起になるのもどうかと思います。
外見の悩みにとらわれている人は、まず「自分は人に見られている」という前提を外し、「人は思うほど自分を見ていない」現実に気づきましょう。
そうすれば自然と、「人にどう見えるか」を気にすることにあまり意味がないとわかります。また「外見ばかり磨いても、中身が空っぽではしょうがない」とも思えてきます。
中身のある人は年齢を増すごとに、顔に味が出てくるもの。それを魅力とするよう心がけましょう。“外見由来のストレス”がずいぶん軽減されますよ。