ライブ観戦ならではの臨場感こそ醍醐味
応援といえば、先日家族でスタジアムに足を運んでラグビーの試合を観戦した。対戦カードはコベルコ神戸スティーラーズ対トヨタヴェルブリッツ、会場は東大阪市花園ラグビー場だ。プレーオフトーナメント進出への生き残りをかけた両チームの戦いは、スタジアムに詰めかけた1万4387人の熱気に包まれて大いに盛り上がった。
久しぶりのライブ観戦に心躍る私と、お目当ての姫野和樹選手が見られてよろこぶ妻のあいだにちょこんと座る5歳の娘は、観戦しながら何度も「たのしい!」と口にしていた。ラグビーが好きなわけでもなく、ルールも覚束ない娘が2時間弱の観戦にどこまで耐えられるのか。試合前は途中で飽きて帰りたいと言い出すに違いないと思っていただけに、意外だった。
会場を盛り上げるアナウンスや歓声のうねりにシンクロし、周囲に合わせて手を叩きながら楽しそうに振る舞う娘は、ラグビーがわからないままに応援そのものを楽しんでいた。
試合はというと、今シーズン新しく加入したニュージーランド代表のアーディ・サベア選手の活躍もあって、私の古巣である神戸が57対22で快勝。卓越した彼のプレーを目の当たりにできたことと古巣の勝利に私は気を良くし、またスタジアム内の一体感をともなったエネルギッシュな空間がとても心地よかった。
チャンス到来に心を躍らせ、ピンチは凌げと願いを込め、両者譲らぬ一進一退の攻防には固唾をのむ。肩を寄せ合いながら喜怒哀楽を同期させる集団には、独特の一体感が生まれる。この一体感につられて気分が高揚するライブ観戦の醍醐味を、無邪気にはしゃぐ娘にあらためて気づかされたのだった。
感情を解き放つ観客はスポーツには不可欠
三木谷氏の提案に話を戻そう。
対戦相手へのブーイングを控えるのはやぶさかではない。ただ、このブーイングをカッコ悪い行いとして遠ざけるのは、やや過剰だと思う。というのも、ブーイングもまた応援の一形態だからである。言葉汚く罵るブーイングは論外にしても、その場にそぐわないプレーにはっきり「NO」と意思表示するのは、スポーツ観戦の楽しみだ。
観客が喜怒哀楽を放出できる場がスポーツであって、観客一人ひとりのそれらが交錯し、共鳴するからこそ会場全体を包む一体感が生まれる。5歳の子供でも感応できるあの祝祭的な雰囲気は、感情を自由に解き放つ観客がいるからこそ醸成される。