大切なのは「変なことを、大まじめにやる」

確かに過剰にコメディっぽい演技をすることでおもしろくなることもあるとは思います。僕自身、変顔や勢いで押し切るタイプの芸人さんのネタは大好きです。でも、僕の創作は「他人から見たら変なことを、大まじめにやる」ことで生まれるおかしみを大切にしたいのです。

岡本太郎の言葉にも「でたらめをやってごらん」とありますが、「でたらめ=コミカル、雑、テキトー」ではありません。でたらめをやるからこそ、真剣にならなくちゃいけないと僕は考えます。

つくり手の「こうすればウケるんでしょ」という浅はかな意図は得てしてバレるし、見ている人を白けさせます。僕が「まじめにつくったのに、変なものになってしまった」を目指している理由はそこです。つくっている側がとことんまじめにやっているんだけど、そのまじめさが滑稽に転じてしまう。そういうユニークさが僕は好きなのです。

極論を言えば、笑わせなくたっていいのです。僕の根っこにあるのは「変な世界をつくりたい」ということ。それを実現した結果、見た人の心に引っかかり、そしておまけに笑ってもらえたら最高です。

『TAROMAN』は本気で作ったからおもしろい

たとえば『TAROMAN』は、『ウルトラマン』をパロディにしたおもしろコメディではなく、「昭和の特撮の世界で、岡本太郎をモチーフとしたヒーローをまじめにつくったもの」が、結果的になんだか滑稽にも見える……というものを狙ってつくりました。

『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』(NHK Eテレ、2022年)©NHK[出所=『ネガティブクリエイティブ』(扶桑社)]

また、「石田三成CM」も、「昭和の時代に滋賀県の職員の方々がまじめにつくったCM」が、なんだか味がありすぎておもしろい……という見え方を狙っています。

どちらも、つくり手の悪ふざけ感が前面に出ていたら、見ている人にはおもしろさよりも不快感が勝ってしまったかもしれません。あくまで「中の人は本気でそれをやっている」と見せるのが、そしてつくり手自身が本気でやることが重要なのだと思います。

その本気度が、つくり込みの細かさやリアリティにあらわれてくる。そこをまじめにやることで、にじみ出るおもしろさが生まれるのだと思います。