デパートの5割の価格で買える

ストレスから摂食障害になり、退社した。4年11カ月在籍したあいだに、同期入社の58人のうち残ったのは祥子ともう一人だけだった。

支社長の愛人と噂された女子社員はとっくに退職し、仕事で知り合ったサラリーマンと結婚した。祥子は知人の紹介で青山の宝石店に再就職した。

「子どものころから光り物が大好きだったから、うれしかった。前の会社にいたとき給料から天引きで宝石買っていたくらいだし。青山の路面店で働いていたら、御徒町の卸の人から誘われて転職したんですよ。本橋さんがいま書いている上野に出てくるジュエリー街ですよ。でもねえ、青山から御徒町って、もう売ってる人も買いに来る人も人種が違う!」

おしゃれな青山から戦後闇市の匂いが染みつく御徒町宝石街に移り、祥子は戸惑うばかりだった。御徒町は宝飾業界のすべてが集まる黄金地帯だった。

メーカー、卸、小売店、パーツ屋、枠屋、材料屋。祥子が入社した店は社員9人の中堅卸であった。そこでは宝石業界の仕組みを徹底して学んだ。

宝石関連の卸が軒を連ね、業者だけではなく一般人に対しても宝飾類を販売する。デパートでは宝飾類はブランド的価値を価格に反映させるので割高感があるが、御徒町の宝飾街は同じ宝飾類が5割以上安く買える。宝石のアメ横、とでも言おうか。

もともとは韓国人の職人が多かったが

宝石街を席巻しているのは外国人パワーである。

「中国人の爆買いみたいに御徒町はいろんな外国人がやってきてますよ。ユダヤ人、スリランカ人、インド人、中国人、韓国人。ダイヤモンドはユダヤ人に人気があって、ルビー、サファイヤはスリランカ人とか。この近くにコリアンタウンがあるでしょ。その関係なのか、御徒町の宝飾職人さんも韓国人が多いんです。

もともと韓国人のほうが人件費や加工賃が安い分、安く下請するから、どうしてもそっちに流れるんです。韓国で仕事するよりもこっちでやったほうが十倍稼げるしね」

本橋信宏『上野アンダーグラウンド』(新潮文庫)

以前はここ上野・御徒町の宝石街も問屋がメインだったが、不景気で業者だけの商売では立ちゆかず、小売りの割合が増えた。

「御徒町の卸や小売店はみんな小さいんですよ。宝飾って儲かりそうな感じがするけど、仕入れて売って仕入れて売っての自転車操業だから、手形がまわらないでメーカーが飛んじゃった(潰れた)なんて話、珍しくないんです。

お給料? あんまりよくない。でもね、お店が潰れちゃっても、またここにもどってくる人多いの。一種のコミュニティだから、商売がやりやすいんですよ。青山や原宿、銀座の宝飾店とはそこが違う。下町感覚ですね」