一体、何のために本をつくるのか

だが一方、大勢の社員を抱える組織では人件費を稼ぐために一定の出版点数も必要になる。現実には、売上を立てるための企画を世に送り出すこともあるというジレンマを彼は認めた。

編集長になる前の彼は、担当する仕事でヒットを続けていた。新進の経済学者の初めての著書が賞をとり、老舗出版社を舞台にしたノンフィクションは注目を集めた。著者と関係をつくり作品を世に問い手応えを得る興奮と達成感を知った彼が、マネジメントの立場になってからは部下の進める企画に目配りしながら一日に何回も紀伊國屋書店の売上をウェブでチェックしてしまい、気が休まらないという。

編集長という立場は望んでも誰もがなれるものではない、選ばれた人だけが就くことのできる憧れのポストだ。ところが実際に編集長になってみると気苦労は想像を超えるもののようだった。もし彼が辻山の指摘を聞いたらどう思うだろうかと、気づけば考えてしまっていた。ジレンマに葛藤する彼は裏返せば本をつくる仕事に真面目だともいうことができる。著者と真剣に対峙たいじし、読み手の知的な欲求を刺激して心を潤すことのできる、そんな本をつくろうとする編集者にとってこそ、堪える言葉かもしれないと思った。

三宅玲子『本屋のない人生なんて』(光文社)

出版業界を見渡せば、売上も規模もさまざまだ。待遇について比較すれば、社員の雇用規定や著者の契約内容は大手出版社の方が条件はよい。他方、ひとり出版社で全てを個人が担う重さと自由度を天秤にかけると、それは何のために本をつくるのかという生き方の領域にまで踏み込んだ問いをはらむことになる。Titleの棚を見ていると、本をつくる仕事とは何かを問われているような思いになる。それは売文業の末端に身を置く私に向けられた問いでもある。

売れそうな本をつくるのではなく、どうしてもつくりたい本、つくらずにはいられない本を出さない限り、いずれ本は必要とされないものになってしまう。そう辻山は静かに警告している。

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