“カイシャイン”を甘やかしてきた日本企業

エリート会社員が社内政治を生き抜きながら、のびのびとあちこちで女をコマす名作「島耕作」シリーズ。新入社員の頃からうっかりそれを読んで育ってしまったからなのだろうか、コンプライアンス社会への息苦しさを訴えるおじさん世代からは、「なんでもセクハラと言われるこんな世の中じゃ、もう社内恋愛なんかできない」といううなり声が漏れる。

それに対する女性側のテッパンとなる反論は以下の如くである。

「そもそも労働の場である社内で、当然のように同僚やら取引先に恋愛の対象を求めている脳がだいぶおかしい」
「セクハラと糾弾されるような方法でしか女性にアプローチできない、自分の偏った恋愛観や経験の貧しさを正当化して疑問に思わないのもだいぶおかしい」

どうやら、これまで日本の「カイシャ」は日本人を徹底的に甘やかし、自分で考えたり行動したりの自己管理が苦手な「カイシャイン」を大量に生んでしまったのではないか。

戦後の復興と労働効率向上のために、企業がまるでお母さんやお父さんのように社員を人生丸ごと抱え込み、カイシャにさえしがみついていれば新卒から退職して死ぬまで面倒見てあげますよ、「人並み」の幸せは保証してあげますよ、だからわれわれに忠誠を誓って身を粉にして働いてね、という人生とバーターの終身雇用制が、結果的にコンプラ甘々の「アットホームな(?)」茶の間みたいなカイシャの風土を許してきてしまったのではないか。

戦後「男性社会」カルチャーの終焉

その意味で、ENEOSの一連のトップセクハラ退任劇は象徴的であるとも言える。戦後日本経済を支えた代表格である石油業界のしかも最大手で、新卒生え抜きでピラミッド型の熾烈しれつな出世競争を生き残ってきたようなエリートカイシャインが、経営上の失策だとかでもない、よりによってセクハラなんて不名誉を着て、晩節を汚す。

それは、彼らにとっては若い頃からのホームグラウンドであったであろう男性社会でその身に長年染み込ませてきた振る舞いが、時代によって次々とダメ出しされていることを意味している。

温室ガス排出削減の観点から、化石エネルギーの見直しと新エネルギーへの転換が怒涛どとうの勢いで進む世界的合意のもとで、日本の化石エネルギー業界にも体質の「見直し」と「転換」がようやく訪れた、2020年代だ。こういった環境変化の直撃を受ける業界を率いる筆頭企業であり、変化に目を向け革新を引っ張っていくべきトップがこんなありさまで大丈夫かいな……と、日本のカイシャにはため息だけが漏れるのであった。

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